(『ゴッドファーザー伝説(ジョゼフ・ボナーノ一代記)』ビル・ボナーノ著から抜粋)
私は1965年になってから刑務所に入り、同年6月に釈放された。
釈放されてから数週間すると、ボナーノ・ファミリーが昔から持っている、ウィスコンシン州、アリゾナ州、カリフォルニア州、カナダのモントリオールの利権がどうなっているか、調べることにした。
ニュージャージー州のアトランティック・シティと、ネヴァダ州のラスヴェガスにも、賭博の利権があった。
私が活動を再開すると、アメリカ政府の邪魔はあったが、仕事を何とかこなせた。
ある日、部下のジョー・ナタロが「ハイチ政府の代理人が会いたがっている」と言ってきた。
ハイチは、キューバなどと同様に、マフィアに冨をもたらしてくれる場所だった。
そこはキューバと違って、ボナーノ・ファミリーも進出していた。
(※ボナーノ・ファミリーはニューヨーク・マフィアでは珍しいことに、キューバには進出していなかった)
ハイチは、フランソワ・デュバリエの独裁政権の時代は、武器密輸、賭博、マネー・ロンダリング、コーヒー密輸の拠点だった。
しかしマフィアに対するアメリカ政府の方針が変わり、取り締まりを強化したため、マフィアはハイチでの仕事がうまく行かなくなっていた。
私がハイチからの使節団に会うと、彼らは「デュバリエはマフィアの各ファミリーが営んでいたカジノなどのビジネスを、再開させてほしいと願っています」と語った。
そこで私は、ヴィト・デフィリッポとジョー・ナタロを伴って、ハイチに赴いた。
ハイチの王宮に着くと、デュバリエ直属の警察(トントン・マコウテ)に取り囲まれ、デュバリエのオフィスへ案内された。
デュバリエは私たちに、「歳入が減少している。賭博や売春から上がる、自分の取り分が少なくなっている。カジノ再開に必要なことは何でも自由にやってくれてかまわない」と言った。
さらに「コーヒー取引も復活させてほしい」と言った。
ハイチは、コーヒー栽培はしていないが、ベネズエラから密輸入していて、そこからアメリカへ積み出されていた。
長年にわたって、マフィアがそれを担当し、アメリカ政府の積極的な黙認によって、無税または低い関税でアメリカへ輸出していた。
デュバリエは、そのコーヒーの裏取引の取り分を得ていたのだ。
私は、「ビジネスを再開させるように計らい、部下をハイチに送り込むが、アメリカではベトナム戦争のエスカレートで先が見えなくなっている」と、デュバリエに話した。
(2022年11月13日に作成)