(『ゴッドファーザー伝説(ジョゼフ・ボナーノ一代記)』ビル・ボナーノ著から抜粋)
私(ビル・ボナーノ)は、1971年に刑務所に入ったが、その後の20年のうち11年を刑務所で過ごし、あとの9年も保護観察か仮釈放の状態にいた。
私は各地の刑務所を渡り歩き、カリフォルニア州のサン・クエンティン刑務所にも4年服役した。
その間、私の父と弟も刑務所に入った。
ボナーノ・ファミリーに対する捜査は続いて、メディアも我々を中傷し続けた。
1976年に、アリゾナ州で殺人事件があった。
マフィアを調査していた独立ジャーナリストのドン・ボレスが、車ごと吹っ飛ばされたのである。
メディアは「ボナーノ・ファミリーの仕業」と報じたが、逮捕されたのはマフィアと繋がりのない連中だった。
同じ頃、サンノゼ・マーキュリー紙の記事が、すっぱ抜いた。
「アリゾナとアメリカ西部には、マフィア帝国が存在し、それを支配しているのはジョゼフ・ボナーノである。
その力の源泉は麻薬で、ヘロインをコロンビアのプエブロを通じてセントルイスに入れている。
麻薬取引の要は、ボナーノの息子たちである。」
だが帝国は存在しなかったし、父(ジョゼフ・ボナーノ)は麻薬を嫌って扱っていなかった。
現実のボナーノ・ファミリーは、15~20人の忠実な人間しか残っていなかった。
これは、父に伴ってアリゾナ州に移住した者たちである。
1975年には、ジミー・ホッファが行方不明になった。
彼は有罪となり刑務所に入ったが、ニクソン大統領から恩赦を与えられて刑務所を出た。
それからは、再びチームスター・ユニオン(トラック運転手の労働組合)を支配しようとしていた。
だが、ホッファが「国家政策にもっと大きな権限を持たせろ」と主張したため、迷惑な存在と仲間(マフィアなど)から見られるようになった。
ミシガン州とオハイオ州のファミリーは、「状況は変わったのだ」と忠告したが、ホッファは聞き入れなかった。
それでホッファは、デトロイトとオハイオのファミリーに、クラーレという強力な毒を喉に突っ込まれた。
その毒は、心臓発作を偽装することができ、すぐに検査しないと分解して検出できなくなる。
噂によると、ホッファの死体は車ごと圧縮機械に放り込まれたという。
やがて、出世したい検察官や政治家にとって、マフィアは願ってもない標的となった。
無名の連邦検察官だったルドルフ・ジュリアーニは、いわゆるコミッション事件で名を挙げた。
ジュリアーニは、マフィアの中央委員会(コミッション)を捜査しようとし、私の父(ジョゼフ・ボナーノ)に目を付けた。
(※ジョゼフ・ボナーノは、コミッションの創設者の1人である)
父はすでに引退していたが、1986年に証人として法廷に召喚された。
法廷で父の弁護士が、「証人は病いが重くてニューヨークへ行けない」と主張すると、ジュリアーニは「それなら法廷が(ボナーノのいる)アリゾナ州へ行けばいい」と言った。
それでアリゾナ州ツーソンのセント・メアリー病院の会議室が、臨時の法廷になり、ジュリアーニが父に質問した。
父がアメリカ憲法・修正第5条を盾にとり答えるのを拒否すると、ジュリアーニは法廷侮辱罪を要請し、裁判官はそれを認めた。
父は車に乗せられて空港に行き、そこからヘリコプターでケンタッキー州レキシントンの刑務所へ送られた。
それから17ヵ月間、父は有罪が確定するまでそこに押し込められた。
この裁判は茶番だったが、ルドルフ・ジュリアーニは父を有罪にしたことで名を挙げた。
ジュリアーニの狙いは出世で、彼は犯罪に立ち向かう闘士として有名になり、やがて政治家になった。
マフィアと長い間、提携してきたアメリカ政府が、なぜあそこまでマフィアを弾圧するようになったのか。
その一因に、麻薬取引がある。
私の父は麻薬密輸に反対していたが、1960年代に入ると、麻薬密輸と密売はビッグ・ビジネスとなった。
それまでは儲けが大きくなかったので、アメリカ政府は非公式にマフィアと組み、マフィアが麻薬をアメリカに密輸するのを、賄賂をもらって黙認していた。
だが麻薬がビッグ・ビジネスになるや、マフィアは邪魔になった。
特に1963年のケネディ大統領暗殺に一部のマフィアが関与して、マフィアが何でもする危険な存在だと分かると、政府は力を持たせたくなくなったのだ。
さらに1960年代になると、アメリカ政府は育ててきた秘密部局(CIAなど)を通じて、以前はマフィアに頼っていた事を自前で出来るようになった。
そう見ている人は少ないが、ヴェトナム戦争は、凄まじい成長を始めた麻薬取引を牛耳るための戦争だった。
東南アジアは、アヘンの生産が盛んで、麻薬ビジネスの中心地の1つだった。
東南アジアでの麻薬取引を牛耳ったのは、マフィアではなく、アメリカ政府だった。
アメリカ政府は、ケネディ大統領の時代から南ヴェトナム政府と組んで、大規模なマネー・ロンダリングをやっていた。
私がこの事を知ったのは、配下が労働組合にからんで貨物取り扱いの仕事をしており、ニューヨーク市のアイドルワイルド空港(のちのケネディ空港)で起きている事を聞いたからだ。
そこでは大量のカネが南ヴェトナムから政府便でニューヨークに送られ、そこからスイス銀行に移送されていた。
アメリカン・エクスプレスの作りたての証券も、南ヴェトナムに送り続けられていた。
これを知った別のマフィア・ファミリーは、その貨物からカネをかすめ取り始めた。
ニューヨークのマフィアは、全員がこのアメリカ政府と南ヴェトナム政府の取引を知っていたが、取引額の多さから麻薬が絡んでいるのは間違いなかった。
私は最終的に、もっと詳しくアメリカ政府の麻薬取引の話を聞いた。
父の個人医であるアル・レヴィンは、かつて海軍パイロットとして、カンボジアで活動するCIAを空から支援していた。
レヴィンは議会でも証言したが、「CIAと(アメリカ海軍は)一緒になって、麻薬と思われる貨物をカンボジアから運び出し、南ヴェトナムのアメリカ空軍の基地に送り届けていた」と語った。
「その貨物は、標識の付いていない民間機に積み込まれて、どこかへ飛び立っていった」とも語った。
アメリカ政府は、この秘密輸送(麻薬密輸)を続けるために、南ヴェトナム政府を守ったのである。
そしてこの麻薬取引は、マフィアへ下請けされずに、アメリカ政府は自前で行った。
キューバのバティスタ、ハイチのデュバリエ、パナマのノリエガといった(中米の)独裁者たちは、アメリカ政府の手下でありつつ、我々マフィアの手下でもあった。
だが東南アジアの将軍どもは、みんなアメリカ政府だけの手下だった。
今日のコロンビア、コスタリカ、パナマ、ドミニカ、グアテマラ、タイ、カンボジアといった、表向きは民主主義の国も同様である。
面白いのは、アメリカのメディアはこうしたアメリカ政府の麻薬取引について、ロシアとイタリア人マフィアが共謀していると報じていることだ。
実際には、ロシアと我々イタリア移民のマフィアは無関係である。
我々はそもそも、麻薬密輸に関わるべきではなかった。
私の父は、「コミッションが機能していて、ケネディ兄弟に腹を立てているボスたちの不満を調停できていれば、ケネディ暗殺は起こらなかったはずだ」と、繰り返し口にしていた。
我々マフィアの力は本来、銃や陰謀ではなく、握手と利益分配に基づいていた。
我々を叩き潰せる力を持つ者(アメリカ政府)を相手に、(ケネディ暗殺などで)戦ったのは間違っていた。
(2022年11月17日に作成)