(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
1960年の秋に、イギリス空軍の偵察機がキューバ上空で、軍事工事が行われているのを見つけた。
10月末までに、航空写真で『ロシア製のミサイルを備える基地が建設されている』と判明した。
その情報は、アメリカ国務省に伝えられ、CIAが情報確認に着手した。
この頃になると、CIAのアトリー・フィリップスのプロパガンダ工作により、アメリカ国民はキューバの脅威に神経をとがらせる様になっていた。
大統領選挙に出馬している民主党のケネディ候補は、キューバに関する情報源があった。
国務省のウィリアム・ウィーランドだ。
ウィーランドはケネディを支持し、CRC(亡命キューバ人の組織)の左派指導者をケネディに引き合わせた。
この指導者たちは、来るべきキューバ侵攻について、ケネディに語って聞かせた。
これを受けてケネディは、「打倒カストロを目指すキューバ反乱軍への援助を求める。私は自由のために戦うキューバ人を支持する」と表明した。
アメリカ政府は、「キューバには介入しない」のを公式方針にしていたため、ニクソン副大統領はキューバ侵攻計画の中心人物だったが、カストロを擁護する道を選択した。
ニクソンは、「今進めているキューバ侵攻計画とカストロ暗殺作戦の機密は守らねばならない」と考えたのだ。
ニクソンは討論会で、「キューバ反乱軍を支援することは、米州機構条約と国際法に違反する。もし実行されれば、国連で非難されてしまう。ケネディの提案は、ソ連を介入させる口実になる。」と主張した。
そして、キューバ封鎖を提唱した。
皮肉なことに、これは後にケネディ政権が採用することになる。
ニクソンの主張は、ケネディと比べて優柔不断という印象を与え、何も知らない民衆はケネディをタフな候補者と見なした。
1960年11月の大統領選挙で、ケネディは僅差で勝利した。
ケネディの勝利には、シカゴ市長リチャード・デイリーの集票力の貢献があった。
デイリーをカネで後援していたのが、シカゴ・マフィアのボスのサム・ジアンカーナである。
イリノイ州でのケネディの勝利は、ジアンカーナの助力でもたらされたものだ。
ケネディは大統領になると、CRC(亡命キューバ人の左派組織)の味方となった。
この事は、亡命キューバ人右派のリーダーであるマリオ・ガルシア・コーリーには大きな痛手だった。
私はコーリーの動揺を鎮めるために、彼にとことん付き合う事を約束した。
この約束によって、私は後に代償(危険な任務)を払うことになる。
ケネディが大統領に就任すると、ダレスCIA長官とリチャード・ビッセルは、進めてきたキューバ侵攻計画について伝えた。
ただし、ニクソンが進めた『オペレーション・フォーティ』と、『ニクソンとコーリーの密約』については伝えなかった。
さらに、『イギリス空軍がキューバでミサイル基地らしきものをみつけたこと』と、『CIAとマフィアが結託してカストロ暗殺計画を進めていること』も、伝えなかった。
説明を受けたケネディ大統領は、キューバ侵攻計画を一時停止するように命じた。
そして、CRCの指導者数名をグアテマラの軍事訓練センターに送り、そこにいるキューバ侵攻のための軍隊を指揮させることにした。
これに反発した、同訓練センターにいる侵攻軍の半数にあたる250人は、戦列を離れてしまった。
(同訓練センターにいる亡命ミューバ人の右派が離脱した)
国務省のウィーランドらは、CIAとマフィアが結びついている事を、ケネディ兄弟に伝えた。
この告発は、とりわけロバート・ケネディを激怒させた。マフィア撲滅のキャンペーンに取り組んでいたからだ。
CIAとマフィアが結託していると国民が知れば、政権の威信は失墜する。
アメリカのマフィアは、バティスタ政権時代のキューバでは、売春宿・賭博場・麻薬取引のほとんどを牛耳って荒稼ぎしていた。
ロバート・ケネディの最初の標的は、ニューオーリンズ・マフィアのドンであるカルロス・マルセロだった。
マルセロは、自らのシマであるルイジアナ州とテキサス州にいる反カストロ派のキューバ人について、活動費用の大部分を賄っていた。
(2016年1月3日に作成)