(『大統領の検屍官』シリル・ウェクト著から抜粋)
ケネディ暗殺のあと、真相究明を求める声が高まり、暗殺調査委員会が立ち上げられて、アール・ウォーレン最高裁判官が委員長になった。
委員会の主な情報源および調査スタッフは、FBIであった。
このウォーレン委員会は、調査結果を26巻の索引のない報告書にまとめた。
この報告書では、オズワルドの単独犯行とし、3発の銃弾が発射されたとしている。
銃弾の1発目は、人にも車にも命中しなかった。
2発目は、ケネディの背中に命中し、背中を貫通して今度はコナリー知事の背中に命中し、再び貫通してコナリーの右手首を砕き、最後はコナリーの左大腿部にとどまった。
3発目は、ケネディの頭部に命中した。
まったくのナンセンスな報告書であり、2発目の弾道はどうみてもバカバカしい。
真実を隠蔽しようとする試みとしか思えない。
ケネディ暗殺から1年後に、アメリカ法科学アカデミーから、「報告書についてのリポートを発表してほしい」と、私は依頼された。
数日をかけてウォーレン報告を調べた。
私の感想は、「検屍・解剖は大失敗だった」である。
だが、当時の私には、ウォーレン委員会の結論をしりぞけるに足る証拠はなかった。
リポートを発表してから数日後に、シルヴィア・マーアという女性から電話をもらった。
彼女は後に『事後共犯』という本を著す人で、ウォーレン委員会批判のパイオニアだ。
彼女は、委員会の報告書に、何ヶ月もかけて独自に索引を付けていた。
1966年には、ハヴァファッド大学のジョウサイア・トンプスン教授が電話をくれた。
彼は、「エイブラハム・ザプルーダーという人物が撮った8ミリフィルムがある。大統領の狙撃が映っている。」と云う。
そのフィルムはライフ誌が買い取っており、私は見る事ができた。
ザプルーダー・フィルムは、銃弾に撃たれるケネディとコナリーを、鮮明に映し出していた。
フィルムとウォーレン委員会の報告を比べた結果、報告は不合理であると確信した。
そもそも、オズワルドが撃ったとされるカルカーノ・ライフルは、射撃テストの結果、発射すると次の発射まで最高の腕でも2.3秒はかかる。
すばやく連続で撃てるはずはない。
それにオズワルドは、射撃の腕は平凡だった。
(2014年12月5日に作成)