(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
1961年の年末になると、ケネディ政権は、かつて軍事関係の請負業者であり原子力委員会の委員長をつとめたジョン・マッコーンを、アレン・ダレスの後任としてCIA長官にした。
ダレスは退任させられる前に、リチャード・ビッセルの後任としてリチャード・ヘルムズを推薦した。
ヘルムズは、トレーシー・バーンズを極秘国内作戦部の新部長に据えた。
そしてバーンズは、E・ハワード・ハントを国内作戦部の秘密活動課長にした。
1962年2月3日にケネディ大統領は、「アメリカはキューバとの通商を停止しろ」と命じた。
だが3月21日の記者会見では、「アメリカのグアンタナモ海軍基地の周辺において、キューバの軍事力をソ連が増強している証拠はない」と主張した。
8月22日になると、「ソ連がキューバへ、大量の兵器と軍事技術者を輸送し始めた」とケネディ大統領は認めた。
この直後、ソ連からミサイルなどが輸送されている事が、マスコミに漏れた。
マスコミから猛攻撃をうけると、ケネディは8月28日に記者会見でこう述べた。
「ミサイルの情報はない。ソ連がそこにいるという証拠を掴んでいない。」
ケネディは隠そうとしていたが、共和党議員のキーティングが9月5日に、本当の事実をアメリカ国民に告げた。
「ソ連は少なくとも1200名の軍隊を、キューバに上陸させた。」
するとケネディは同日に、「ミサイルおよびミサイルを搭載した哨戒魚雷艇を、ソ連が持ち込んでいる」と公式に認めた。
だが同時に、「ソ連圏からの組織的な部隊も攻撃用ミサイルも、キューバには入っている証拠はない」と述べた。
このような状況下で、記者のチャールズ・キーリーは1962年9月15日付でこう書いた。
「ケネディは、11月6日にある下院選挙の直前に、行動を起こしたいと考えている。」
マリオ・ガルシア・コーリーは、キーリーの意見に賛成した。
選挙戦は(ケネディの)民主党に不利な状況で、世論調査ではキューバが最重要問題になっていた。
9月18日には、(共和党の)リチャード・ニクソンがカリフォルニア州知事の座を得るための戦略として、「キューバに対し、制裁のための封鎖をしろ」と求めた。
この頃には、コーリーの情報によれば、ソ連はキューバで中距離弾道ミサイルの基地建設の準備に入っていた。
CIAはコーリーの情報をホワイトハウスに提出したが、ケネディ政権は無関心だった。
62年10月9日に私は、トレーシー・バーンズに呼び出された。
ほぼ1年ぶりに顔を合わせたが、彼は写真を見せつつ言った。
「キューバには新しいミサイル基地ができている。
すでにあるカマグエイの基地は、核兵器の攻撃を実行するためのものが、すべて備えられている。
新しい基地は、そのバックアップだ。」
私は訊いた。
「なぜアメリカ政府は、こんなに長く放置していたんです?」
「ケネディ兄弟は、抜け目のない政治家だ。
今年に困った事態になると分かっていたんだろう。
最新の世論調査を見たかね?
下院も上院も、共和党が過半数をとりそうだ。
そんな事になれば、ケネディ一族の目論んでいる世襲ができなくなってしまう。」
「世襲?」
「ジョンが王座を退いた後、弟のロバートがそれを引き継ぐ。
それから若造のテッドが…。
話を元に戻そう。
カマグエイの基地は、8基の対地空ミサイルと、ミグ21戦闘機隊によって防衛されている。
どうやらソ連は、攻撃がくるとしたら空からだと思っているようだ。
カマグエイ基地のコンピュータ・センターを破壊するため、コーリーに地下組織を送り込んでもらいたい。
これを破壊すれば、ロシア人たちは撤退せざるを得なくなる。」
「ケネディ大統領はこの計画について、どうお考えなんです?」
「何も意見を述べていない。
我々が大統領と呼んでいるケチな売国奴は、長いあいだ待ちすぎてきた。
今すぐに行動しなければならない!
コーリーの地下組織に、明日の夜、あのコントロール・センターを破壊してもらいたいのだ。」
「明日の夜! 時間がほとんどない。
コーリーを説得するのは大変だし、作戦を実行するのも難しい。
コントロール・センターは、写真を見ると地下15~20フィートにある。」
「だが、地上を守っているのは2ダースの護衛と、外周部を囲むサイクロン型の電気フェンスだけだ。
施設の内部に侵入しさえすれば、通風孔に爆薬を落とせる。
コンピュータと通信機を接続する地下ケーブルを破壊するため、強力な採掘用の爆薬を仕掛けることもできるだろう。
別のグループが無線通信所を攻撃すれば、何に攻撃されたのかさえ分からないはずだ。」
(2016年4月6日に作成)