モローは、カストロ暗殺作戦の参加メンバーの説明を受ける②
オズワルドについて

(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)

CIA幹部で私の上司のトレーシー・バーンズは、クレイ・ショーの組織を説明し終えると、思いついたようにこう付け加えた。

「クレイ・ショーの組織には、もう1人いる。
リー・オズワルドだ。

オズワルドはかつて海兵隊にいて、レーダー技師と暗号使用者の訓練を受けたあと、日本の米軍厚木基地に配属された。

そこで勤務している間に、ロシア語を学んだ。

厚木は、中国やソ連上空のUー2偵察飛行の大半が、飛び立っている基地だ。

そこからトルコへも行く。 」

「(Uー2偵察機でソ連を偵察し撃墜されて捕まった)ゲイリー・パワーズもそうでしたね。」

「オズワルドは、厚木で訓練を受けた後、MAAGのグループと共にフィリピンで秘密任務についた。

彼は1959年9月に、CIAの要請により、自分から除隊を申し出て、3日後に名誉除隊となった。

もちろん彼を亡命者に装わせてロシアへ送り出した時には、不名誉な除隊に変更されたがね。

除隊後に、彼は2000ドルの報酬をCIAから受け取った。

そして、極秘情報の取扱許可証明と、暗号取扱証明を持って、極秘の任務についた。

オズワルドの任務は、アメリカのトップシークレットの暗号やレーダー情報などを持って、ソ連へ亡命することだった。

そしてKGB大佐の姪でモスクワに住む少女に接触し、彼女をロシア国外に連れ出すことだった。

それによって、叔父(KGB大佐)が亡命できるようにだ。

この人物は、姪が唯一の血縁者だった。

オズワルドは船でイギリスに渡り、ヘルシンキに移動して、陸路でモスクワに向かった。

陸路を使うほうが、本当の亡命らしく見えるからだ。

モスクワに到着すると、指示通りにアメリカ大使館へ駆け込んで、アメリカ市民権を放棄した。

次にロシア政府に連絡をとり、暗号やレーダーの詳細な情報を与えた。

もちろん、オズワルドがアメリカ大使館に姿を現したら、一両日以内に暗号やレーダーのコードをことごとく変更することになっていた。

これによって、ロシア人はオズワルドの内容が正しい事を確認できるが、重要なことは何も知ることができない。

オズワルドは、何とかKGB大佐の姪(マリーナ)と結婚し、彼女を連れ出すことに成功した。

連れ出すには、彼は手首を切って狂人のように振る舞わねばならなかった。

我々は現在、この大佐の移住(亡命)を待っている。

オズワルドはアメリカに帰国後、CIAから南部に行くように指示された。

そして、CIAの極秘諜報部員ジョージ・ド・モーレンシルトの仲介で、ジャック・ルービーと付き合うようになった。

(※その後、オズワルドはニューオーリンズに送られ、デイブ・フェリーとガイ・バニスターの保護下に置かれた)

我々は、FBIもオズワルドを使っていると考えている。」

(2016年4月7日に作成)


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