(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
JFK暗殺の計画は、エドガー・フーバーFBI長官が知ってしまった。
(フロリダ・マフィアのボスでケネディ暗殺計画に加わった)サントス・トラフィカンテは、裕福な亡命キューバ人のホセ・アレマンに、ケネディ兄弟の不正行為や協定を守る能力の欠如を話し、「JFKは暗殺されることになっている」と明かした。
「ジミー・ホッファが暗殺計画で主要な役割を果たす」とも明かした。
アレマンは、FBIに情報提供をしている者で、FBIに報告されてフーバー長官の知るところとなった。
フーバーは、1963年11月4日までにJFKを暗殺するように求めた『暗殺契約』を、カルロス・マルセロが出している事も知った。
マルセロとホッファが親密な事も知った。
フーバーは、手元の情報を分析し、「マルセロが主要な容疑者であろう」と推測した。
しかしフーバーFBI長官は、暗殺の計画をケネディ大統領に報告しない決心をした。
ケネディ兄弟はフーバーを解任しようとしていたが、フーバーは地位を維持したかったからだ。
彼は、すでにケネディ大統領の性的不品行の情報を集めて脅迫したが、失敗に終わっていた。
フーバーは、リンドン・ジョンソン副大統領の調査書類という、切り札を持っていた。
ジョンソンは、ビリー・ソル・エステスと農務省との係争(汚職事件)の隠蔽に関係していたし、ボビー・ベイカー事件もあった。
これらの情報と、フーバーとの長年の友情を考えると、ジョンソンが大統領になればフーバーを留任するはずだった。
唯一の危険性は、ケネディが暗殺された後に、ジョンソンが暗殺事件の調査を推し進めることだった。
だが、フーバーは調査をしない方に賭けた。
そして、ケネディが暗殺されると、隠蔽工作の主要メンバーとなったのである。
リチャード・ニクソンが差し迫ったケネディ暗殺計画について知ったのは、親友のフーバーからだった。
暗殺の前夜には、2人は揃って石油王クリント・マーチンソンの自宅で行われた会議に出席した。
その会議の議題の1つは、ケネディが暗殺された場合の2人の政治的将来だった。
ケネディ兄弟は、1963年の初頭に、いくつかの致命的な決断を下した。
その1つは、来たる64年の大統領選挙で、副大統領候補からジョンソンを外そうとした事だ。
もう1つは、フーバーFBI長官を辞めさせようとした事だ。
ジョンソンは、副大統領の地位のおかげで、刑事告訴から免れていた。
彼は、ボビー・ベイカーとの親交により、マフィアとの繋がりが明るみにでた。
ベイカーは、マフィアやチームスター企業と繋がっていた。
1963年9月に、ベイカー/レビンソン・スキャンダルが発覚し、ラスベガス・カジノを経営するマフィアとジョンソン副大統領の繋がりが暴かれた。
カジノ建設費を出したのはジミー・ホッファで、監査役はマイヤー・ランスキーとレビンソンだった。
民主党の保守派の下院議員たちは、ジミー・ホッファを起訴したことを理由に、ロバート・ケネディ司法長官を弾劾したが、これによりホッファとジョンソンの密接さが明白となった。
(※ジョンソンは、民主党保守派の重鎮である)
1963年の初秋には、事業家ビリー・ソル・エステスの不動産取引をめぐって発生した謎の死について、調査が開始された。
そして、不可解な死にジョンソン副大統領が関係しているのが浮かび上がった。
(この汚職事件では、4名が不審な死を遂げている。
ヘンリー・マーシャルは、エステスの広大な綿花作付けの割り当てについて調査中に射殺された。
ジョージ・クルーティレックは、FBIの取り調べをうけた後に、一酸化炭素中毒で亡くなった。
ハロルド・ユージン・オアは、テキサスのアマリロ社の社長だが、一酸化炭素中毒で亡くなった。
ハワード・プラットは、エステスの肥料供給者だが、一酸化炭素中毒で亡くなった。)
フーバーFBI長官は、CIAとマフィアのカストロ暗殺計画を、1962年5月に探り出した。
フーバーは、CIAの行うアメリカ国内での非合法活動にも気付いていた。
一例として挙げられるのが、『秘密郵便監視プログラム』で、CIAは興味を抱いた人物の郵便は開封していた。
これは明らかにアメリカの法律に違反している。
皮肉なことにCIAのこの作戦は、FBIが「郵便監視作戦を始めたい」と郵政機関に要請した時に発見した。
FBIは1963年2月に、CIAの行う郵便開封を発見したが、フーバーFBI長官とCIAの実質的なトップであるリチャード・ヘルムズは、ある提携をして解決した。
「お互いに、相手の不法行為を見逃して隠蔽すること」で合意したのだ。
FBIとCIAの提携は、ケネディ暗殺を熱望する者たちにとって、重要な意味があった。
(2016年4月8日、同15日に作成)