(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
1963年5月末までに、私は2回目のキューバ紙幣の偽造作戦に必要な準備を終えた。
カストロが61年の末に導入した新紙幣は、複雑な構造をしていて、偽造工程には膨大な作業を要した。
そのうえマリオ・ガルシア・コーリーは、5000万ペソ分を作るように求めてきた。
新たなキューバ侵攻は、63年12月の第1週に行われる予定となっていた。
侵攻の前に、カストロ軍を買収するため偽造紙幣を配る予定で、それには10月末までに必要だった。
その仕事量を考えた結果、私たちは外部の印刷業者を雇うことにした。
マーシャル・ディッグズに連絡すると、彼を介してニューヨークの印刷業者を紹介された。
コーリーは私に、「ニューヨークで偽造紙幣を印刷するハリス氏に、一緒に来て会ってくれ」と依頼してきた。
私はニューヨークに行き、コーリーと合流した。
ハリス氏に会うと、彼は銃を携帯しており、私は不安になった。
彼と話してみると、専門知識に欠けるのは明らかだった。
ハリスと別れた後、すぐさま私は言った。
「あんなひどい印刷業者は初めてだ。」
コーリーは不安そうな表情を見せたが、こう答えた。
「彼は問題ないという確信がある。
名高い弁護士で私の支持者のウォルター・シュルツが紹介者だからだ。」
私はハリスを信用できなかったが、決定を変更する力は無かった。
ボルティモアの自宅に戻ると、相棒のロス・スコイアーがひどく動揺していて、電話を指して言った。
「受話器をとって、どう思うか教えてくれ。」
受話器に耳を押し当てると、ダイヤル音に混じって、自動スイッチの作動するカチッという音が聞き取れた。
電話線にとりつけてあった特別な独立回路のおかげで、盗聴されているのが分かった。
私は(自宅が盗聴されているので)街に出て、バーから上司のトレーシー・バーンズに電話した。
ニューヨークでの顛末や盗聴について話したが、バーンズは「デル・バレや自由キューバ委員会のニューオーリンズ支部と話をするために、マイアミに行けるか?」と尋ねてきた。
私は翌朝にマイアミに向かい、デル・バレと再会した。
デル・バレと一緒に、「デイブ・フェリーの仲間」という男もいた。
この男は、ガイ・バニスターだった。
私が「印刷業者ハリスには不安がある」と説明すると、バニスターは「ただちにハリスの身元を確かめる」と言った。
デル・バレとバニスターは、「現在すすめている反カストロ作戦は、デイブ・フェリーが主として立案している」と説明してくれた。
私はこの時、彼らがJFK暗殺に関与する男達だとは、全く知らなかった。
1963年9月末に、1年かかったキューバ紙幣の偽造の準備が、完了した。
偽札の原版は完成し、コーリーに渡すだけとなった。
コーリーに連絡し、彼の部下のビル・グロシュが、私の家に原版を取りに来た。
すると、その日のうちにコーリーから電話があった。
印刷業者のハリスが問題を指摘しているという。
私は、「嫌な予感がする。あの印刷業者は全くの素人だ。」と忠告した。
それから2週間すると、私の家にシークレット・サービスの者がやって来た。
彼らは、「あななたち全員に逮捕状が出ている。君の仲間のコーリーを、偽札の原版を渡そうとした容疑で逮捕した。」と告げた。
ハリスは、財務省に雇われたシークレット・サービスの者だったと判明した。
私は逮捕され、10月2日の早朝の数時間を、ボルティモア市の刑務所で過ごした。
4時間ほどで刑務所から出られて、刑事弁護士のフレッド・E・ウィーズガルと会った。
ウィーズガルは、会うなり言った。
「心配ない。全てうまく処理するように指示をうけている。」
私たちは、紙幣偽造で起訴された。
私は2.5万ドルの保釈金を支払うことになった。
ウィーズガルのオフィスに入ると、彼は言った。
「検事は君を裁こうとするが、CIAが彼のオフィスに圧力をかける事ができるだろう。
問題はコーリーだ。
検事はおそらく、ケネディ兄弟から死刑にするように指示を受けているはずだ。
これから数ヶ月は、凄まじい生存競争になる事を頭に入れておいてほしい。
君が刑務所に入らずにすむようにするのは、非常に難しい。ケネディ大統領が死にでもしない限りな。」
我々の逮捕により、CIAのキューバ紙幣の偽造作戦とキューバ侵攻作戦は打ち砕かれた。
コーリーを厄介払いするケネディの策略は見事だった。
コーリーは、キューバのミサイルの実状を知りすぎていたし、沈黙するのを拒んできた。
彼は社会的に信頼されていたので、彼を抑えるにはキューバ紙幣の偽造作戦を摘発するしかなかった。
コーリーは犯罪者となり、亡命キューバ人の組織は無力化させられた。
デル・バレは、コーリーや私が逮捕された後、ケネディ政権に紙幣偽造作戦を密告したのは誰かを調べた。
その結果、コーリーの軍事コーディネーターだったギルベルト・ロドリゲス・エルナンデスが暗殺された。
エルナンデスは、情報を亡命キューバ人の左派に伝え、そこからケネディに通報されていた。
キューバ紙幣偽造の裁判では、1964年4月6日のコーリーの裁判に、私と妻のセシリーは出頭して証言した。
私は、CIAに雇われていたと認め、ペソの偽造について話した。
(2016年4月8日、5月2日に作成)