(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
1963年の秋に、CIAはカストロ暗殺計画を再び企てた。
今度の作戦には、ローランド・キュベロ博士というカストロ政権の高官と、ピッグズ湾侵攻で隊長をしたマヌエル・アルティメが加わっていた。
ローランド・キュベロは、1961年にブラジルでCIAに接触し、アメリカに亡命したい旨を伝えた。
そして、「しばらくの間、カストロ政権の情報をCIAに提供する」と申し出た。
キュベロは情報提供者となったが、63年秋に「カストロを自分の手で暗殺したい」と申し出た。
この情報は9月7日に、CIA本部のデズモンド・フィッツジェラルドが率いる特殊業務部(SAS)に伝えられた。
だがCIA防諜部長のジェームズ・アングルトンが、キュベロに疑念を抱いたため、CIAは対応を控えた。
63年9月12日には、この新たなカストロ暗殺計画を、ロバート・ケネディらが議論した。
おそらくロバートは、この計画を否認したと思われる。
彼は、CIAと亡命キューバ人が計画する「キューバ侵攻を12月に行うこと」を、妨害するのに乗り出した。
1963年10月中旬に、CIA高官のリチャード・ヘルムズは、ケネディ兄弟とCIA長官に知らせないまま、キュベロの計画にゴー・サインを出した。
キュベロはCIAに、「カストロ暗殺計画について、司法長官から私を支援する確約がほしい」と要求した。
ロバート・ケネディ司法長官は暗殺計画に反対していたので、CIAのSAS部長デズモンド・フィッツジェラルドが勝手に確約することにした。
フィッツジェラルドは、ロバートの代理人を詐称して、キュベロと会うことにした。
会合は10月29日に行われ、「カストロ暗殺のクーデターに成功したら、ケネディは支援する」と請け合った。
こうしてCIAは、ケネディ大統領が知らないうちに、彼をカストロ暗殺計画に巻き込んだ。
(2016年5月2日に作成)