(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
1963年の11月10日に、私はデル・バレから電話をもらった。
彼は、私が渡したトランシーバーの操作について質問した。
彼は会話の中で、こう言った。
「トランシーバーはテキサスで使う。
俺も昨日に知ったが、ケネディがダラスで殺られる。」
私は、デル・バレの言った事にそれほど驚かなかった。
亡命キューバ人たちは、ケネディに対する復讐をしょっちゅう語っていたからだ。
そうした戯言は、割り引いて聞いていた。
とはいうものの、デル・バレの発言を上司のトレーシー・バーンズに報告することにした。
バーンズがつかまらないので、マーシャル・ディッグズに連絡した。
ディッグズは、デル・バレの発言に冷静に反応し、「バーンズに伝えておくが、10中8、9、キューバ亡命人たちの不満の表れにすぎない」と言った。
私は、翌朝にはこの件をすっかり忘れてしまった。
(1963年11月22日に)JFKが暗殺されると、私は恐怖にかられた。
自分が改造した4丁のライフルにそっくりなものがテレビに出て、「JFK暗殺に使われた」と紹介されたからだ。
ダラス地方検事のヘンリー・ウェイドが「犯人のオズワルドは、デル・バレの率いる自由キューバ委員会のメンバーである」と公表すると、私の心はいっそうかき乱された。
私の状態が少し良くなったのは、ジャック・ルービーがウェイドの発言を否定して、「オズワルドは親カストロ組織であるキューバ公正委員会のメンバーだった」と述べてからだ。
私は、自分がJFK暗殺の情報をいかに沢山与えられていたかに気付いた。
オズワルドについても、トレーシー・バーンズから聞いていた。
そして、JFK暗殺の2週間前にデル・バレが私に語ったことは、真実であったと悟った。
私が改造したライフルとトランシーバーは、暗殺で使用された。
私はパニックになり、「ひょっとして自分ははめられたのだろうか」と思い悩んだ。
恐怖のあまり、トレーシー・バーンズに連絡した。
バーンズはこう言った。
「心配しなくていい。すっかり手は打ってある。
君の手は全く汚れていない。
こっち(CIA)は、てんやわんやだ。
用事がある場合は、ディッグズに連絡したまえ。
しばらくの間、我々は距離をおいた方がいい。」
電話を切ると、自分が安全であることを悟った。
さもなければ、バーンズは決して私と話をしなかっただろう。
ケネディ暗殺から1年後に、マーシャル・ディッグズから詳しい話を聞いた。
「暗殺の後すぐに、本当の犯人を発見させないために、ジョンソン政権は大規模な隠蔽を実行した」という。
ローランド・マスフェラーのボディガードをしてきたマヌエル・ロドリゲス・ケサダは、暗殺された。
ケサダは、JFK暗殺に関わった人物の情報をネタに、ゆすりをする恐れがあった。
ケサダと、紙幣偽造作戦を密告したギルベルト・ロドリゲス・エルナンデスは、CIA傭兵のジョン・オヘアが暗殺を実行した。
オヘアは、私にその事実を語ってくれた。
彼は、反カストロの亡命キューバ人に暗殺の訓練をした人物である。
亡命キューバ人の過激派グループを率いていたアントニオ・ベシアーナは、「モーリス・ビショップというCIA局員が、JFK暗殺の数週間前にオズワルドと居るのを見た」と証言した。
後にディッグズやバーンズから聞いたが、ベシアーナやマスフェラーのグループを率いていたのは、デイビッド・アトリー・フィリップスだ。
フィリップスはCIA職員で、ビショップという偽名を使っていた。
この男は、JFK暗殺時に近くで警察に捕まった男(写真にとられた)と、酷似している。
(2016年5月2日に作成)