(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
リンドン・ジョンソンが新大統領になると、フーバーFBI長官はすぐに副長官クライド・トルソンにこう命じた。
「すべてのFBI上級職員に対して、『ケネディ暗殺の調査を終結させ、オズワルドが単独犯であるとの報告書を提出しろ』と圧力をかけろ。」
フーバーはさらに、ニューオーリンズとダラスの支局に対して、「FBIにとって面倒を生じるものは全て抹消しろ」と命じた。
FBI副長官の1人であるウィリアム・サリバンは、CIA内通者であり、CIAにこの情報が伝えられた。
FBI要人の何人かは、CIAのために働いていた。
(※サリバンは1971年にFBIを解雇された)
FBIのニューオーリンズ支局は、問題に直面していた。
ウォレン・デブリューズ捜査官は、オレスト・ペナという情報提供者を抱えていた。
ペナは、亡命キューバ人の指導者セルジオ・アーカチャ・スミスと仕事をしていた。
スミスは、かつてキューバ革命委員会(CRC)のニューオーリンズ支部長だった男だ。
ペナは、デイブ・フェリーの仲間で、「デブリューズとオズワルドが関係していた」と申し立てる可能性があった。
(※オズワルドはCIAだけでなく、FBIのためにも働いていた)
ペナは1975年11月26日のCBSインタビュー番組で、こう証言している。
「私がウォレン委員会で証言するおよそ10日前に、デブリューズがやってきて、こう言った。
『俺は非常に不安だ。俺のことを少しでもしゃべってみろ、お前を片付けてしまうからな。』」
1963年11月23日に(ケネディ暗殺の翌日に)、ジョンソン大統領とマッコーンCIA長官は、『国家安全保障覚書 二七八』に署名した。
これは、JFKが決定していたベトナム戦争の規模縮小を、ただちに無効にする秘密書類だった。
この署名によって、ベトナム戦争は議会の承認を得ることもなく、全面戦争へと向かっていく。
そして、戦争を進めるための白紙委任状が、CIAに与えられた。
この日以降、キューバに変わってベトナムが、アメリカの悩みの種となる。
そしてアジアは、アメリカ・マフィアの大きな麻薬供給源となっていく。
CIA専有の航空会社であるエア・アメリカは、アヘン運搬を行った。
その一方で、反カストロの亡命キューバ人たちは、JFK暗殺をカストロのせいにしようと画策した。
ローランド・マスフェラーは、サルバドール・ディアス・バーソンをメキシコ・シティに送った。
メキシコは、オズワルドが暗殺の前に訪れたと考えられていた。
バーソンはメキシコ・シティで、「カストロがJFK暗殺を工作し、オズワルドはキューバ大使館員のシルビア・デュランの家に滞在していた」とのニセ情報を流した。
この工作は功を奏し、メキシコ・シティの警察によって取り上げられさえした。
CIAはこの動きに呼応し、「カストロ暗殺の作戦を中止しろ」とローランド・キュベロに伝えた。
上のニセ情報はマッコーンCIA長官に伝えられ、真相を知らされていない彼はジョンソン大統領に「メキシコ・シティでのオズワルドのソ連(キューバ)との接触は、不吉な意味を持つかもしれない」と報告した。
フーバーFBI長官は、オズワルドが単独で犯行したと、ジョンソン大統領やマスコミに納得させようとした。
FBIの提出した書類は、オズワルドに不利なものばかりで、マフィアやCIAに触れていなかった。
だが、CIAのメキシコ駐在員は、「ローランド・キュベロがオズワルドと接触していた可能性がある」と報告した。
ヨーロッパのCIAの情報源も、「ケネディ暗殺にキュベロが関わっていた」と伝えてきた。
(※実際には、キュベロはCIAの下でカストロ暗殺作戦に関わっていた)
キュベロのカストロ暗殺作戦を取りしきっていたCIAのデズモンド・フィッツジェラルドは、上司のリチャード・ヘルムズに相談した。
そして、「キュベロに関するファイルは、ウォレン委員会に提出するな」と命じられた。
通常の手続きが採られていれば、カストロ暗殺作戦の詳細がこの時に暴露されていたはずだ。
ヘルムズは、重要な情報を故意に大統領らに知らせなかった。
反逆罪に等しい行為だった。
フーバーとヘルムズが隠した情報を考えると、2人の沈黙は犯罪の共謀に匹敵する。
FBIは、キューバ政府や亡命キューバ人がケネディ暗殺に関わっていたかを、決して調査・確認しなかった。
1963年11月29日に、ジョンソン大統領は『ウォレン委員会』を設置した。
フーバーは当初、設置に反対していたが、「委員会が受け取るデータを、CIAとFBIがコントロールできる」と見て態度を変えた。
委員会のメンバーは、CIAとFBIを保護する者たちだった。
だがメンバーの一部は、疑い始めた。
有力な証言が現れたからだ。
端的に示しているのは、テキサス検事総長のワゴナー・カーの証言だろう。
カーは、「オズワルドはFBIの情報提供者として雇われていた。1962年9月にナンバーS-179(のコードネーム)を与えられ、月200ドルが支払われていた」と主張した。
ウォレン委員会は、64年5月26日に「反カストロの亡命キューバ人・グループである、MRP、Alpha66、DREの情報を出せ」と、FBIに求めた。
フーバーFBI長官は、「オズワルドと反カストロ派キューバ人の繋がりが分かったら、すぐにマフィアとCIAとFBIの共謀が導き出される」と承知していた。
そのため、「FBIは何も情報を持っていない」と嘘の返事をした。
結局、ウォレン委員会の報告書には、亡命キューバ人、マフィア、CIAの不審な情報(真実の情報)はいっさい含まれなかった。
JFK暗殺後、「デイブ・フェリーが関与している」との証言がいくつも出た。
フェリーをはめようという試みだったと考えられる。
ジム・ギャリソン地方検事は、フェリーの調査を始めて、1967年までにすっかり把握した。
すると67年9月のライフ誌は、「ギャリソンが、(マフィアの)カルロス・マルセロやジミー・ホッファと関係を持っている」との(ニセ情報の)記事を載せたのである。
(2016年5月2日に作成)