(『ケネディ暗殺』ロバート・モロー著から抜粋)
1964年4月に、(亡命キューバ人のリーダーの)マリオ・ガルシア・コーリーは裁判で有罪宣告された。
するとリチャード・ニクソンは、「まず身を隠して、もし上訴で負けたら保釈中に逃亡しろ」とコーリーに勧めた。
そのような措置を講じたのは、ウォレン委員会などでコーリーに証言させないためだった。
これによりコーリーは、『カストロ暗殺計画』や『オペレーション・フォーティ(ニクソンとコーリーの密約)』について、漏らすことはできなくなった。
コーリーは逃亡者となったが、その決心にはニクソンの関与があった。
コーリーは、裁判が始まると「反カストロの活動を止めれば、無罪になる」と政府関係者から言われたが、それを拒否していた。
1965年にコーリーは自首し、刑務所に入った。
ニクソンの法律事務所は、裁判所にとりなし減刑を求めた。
コーリーは、「ニクソンとの関係やピッグズ湾に関する密約を漏らさなければ、ニクソンがすべての訴訟費用を出す」との約束があったと、私に打ち明けた。
ニクソンは1968年に大統領となったが、亡命キューバ人やマフィアとの関係がウォーターゲート事件の調査で明るみに出た。
マイアミに本社のあるマフィアと繋がる企業、カイズ・リアルティ社が、ニクソンとその親友ベベ・レボゾ(キー・ビースケン銀行の経営者)の様々な土地取引に手を貸していたのだ。
1966年に、リチャード・ヘルムズはCIA長官に任命された。
彼はただちに、CIAの下級工作員を亡命キューバ人から、イラン秘密警察(SAVAK)の特殊訓練を受けたメンバーに入れ替えた。
1953年にイランで起きたクーデターを計画したヘルムズは、イラン国王の幼馴染であり、国王を(イランを)動かしていた人物だ。
ヘルムズが長官になると、亡命キューバ人たちは切り捨てられたのである。
(2016年6月15日に作成)