(『決定版二〇三九年の真実』落合信彦著から抜粋)
1977年3月30日に、「ジョージ・デ・モーレンシルツが死亡した」との電報がアメリカから届いた。
翌日の読売新聞には、「リー・オズワルドと密接な関係を持っていたと見られるモーレンシルツ氏(65歳)は29日、フロリダ州パームビーチの友人宅で死体で発見された。散弾銃を口にあてて引き金を引いており、郡保安官は『99%自殺』と述べている」と出た。
私の頭に浮かんだのは、サム・ジアンカーナとジョン・ロゼリの死だった。
ジアンカーナはシカゴを本拠地とするマフィアの大ボスで、残忍性は他に類を見ないと言われていた。
ロゼリは、ラスベガス・マフィアのドンだった。
2人とも、アル・カポネの直系である。
サム・ジアンカーナは、1975年6月に上院の暗殺調査委員会(チャーチ委員会)に証人として呼ばれたが、出頭の数日前に自宅で殺された。
6発の銃弾が至近距離から撃ち込まれたいた。
不思議なことに、彼の家はFBIとシカゴ警察の厳しい張り込み下にあった。
76年8月7日には、マイアミビーチ沖でジョン・ロゼリの死体が発見された。
死体はばらばらにされて、ドラム缶に詰め込まれていた。
私がデ・モーレンシルツの名前に初めて出くわしたのは、64年発行のウォレン委員会の報告書だった。
その中で、「モーレンシルツとその妻ジーンは、オズワルドの家族が最も親しかった友人だ」と説明されていた。
モーレンシルツは、ダラス市の白系ロシア人社会のボス的存在だった。
彼は1911年にウクライナで生まれ、ポーランドに移住して陸軍士官学校で学び、第二次大戦中はフランスの情報組織で働いた。
アメリカに移住後は石油畑で出世し、金融界や財界にコネを持っていた。
妻のジーンの兄はCIAのエージェントで、もう1人の兄は企業家ハワード・ヒューズの下で働いていた。
モーレンシルツ自身も、アメリカ政府の国際協力局の一員として、ユーゴやガーナで石油採掘に協力している。
この国際協力局は、CIAのダミー組織の1つであることは今日では周知の事実だ。
(2017年4月4日に作成)