デイヴィッド・フェリーを尋問する

(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)

ルイジアナ州ニューオーリンズの地方検事として事務所で仕事をしていた時に、補佐のフランク・クラインから「大統領が撃たれました!」と知らされた。

1963年11月22日の午後12時30分をちょっと回ったところだった。
その時の衝撃を忘れることができない。

フランクと昼食をとりにレストランに向かったが、そこの客たちはテレビを厳粛な表情で見つめていた。

テレビから流れてくる情報は、暗殺現場にたくさんの見物人やFBIや警察がいたのに、2時間のあいだ大統領を撃った人物について伝えることはなかった。

午後も半ばになって、突然に暗殺者と目される男が逮捕されたと発表があった。

暗殺現場からかなり隔たった所にある映画館にいた男を、ダラス警察が逮捕したのである。

容疑者が逮捕されたというので、テレビは大騒ぎだった。
容疑者の若者はリー・ハーヴィ・オズワルドという名前だった。

ケネディ暗殺の翌日になると、オズワルドの経歴も報道されるようになり、ニューオーリンズに滞在していた事も伝えられた。

私としては、オズワルドが3ヵ月にわたってニューオーリンズに居たという事実は、無視するわけにはいかなかった。

地方検事として、スタッフを召集してオズワルドの人脈を調べた。

すると、夏の間にデイヴィッド・フェリーという男と一緒にいるのを目撃されていた。

私自身、フェリーには一度会ったことがあった。

地方検事に選出された直後で、街中を歩いている時に彼が両腕を掴んできたのだ。

彼は残忍そうな笑いを浮かべていたが、私の当選を祝福し、自分は私立探偵なのだと言った。
1962年のことである。

フェリーはニューオーリンズでは知られた人物で、冒険好きのパイロットでどんな小さな滑走路でも離着陸できると評判だった。

彼はCIAによるピッグズ湾侵攻に関わっていて、反カストロの活動をしており、退役軍人の集まりでしばしば愛国心や共産主義打倒をテーマにスピーチしていた。

デイヴィッド・フェリーを調べていたら、ケネディ暗殺の日にテキサスに向かった事が分かった。

彼の自宅に行ってみたが、ウサギ小屋のようなアパートで、室内には軍用小銃などが転がっていて、壁には大きなキューバの地図が貼られていた。

そこでは2人の若い男がフェリーの帰りを待っていて、「フェリーはケネディ暗殺事件の一時間後に車でテキサスに向かった」と言う。

私は捜査官を1人を、フェリーのアパートに張り込ませた。

フェリーは月曜日(11月25日)の朝に姿を現わし、尋問のために検事局へ連れてこられた。

以前に街中で会った時と同じく、酷いなりをしていた。

彼には落ち着きがなく、話せば話すほど辻褄が合わなくなった。

暗殺事件の直後にニューオーリンズを出た理由を尋ねると、彼は「アイススケートをやりにヒューストンに行った」という。

「ひどい雷雨だったのに、なんでアイススケートをしに出掛けたのか」と尋ねたが、納得のいく答えは得られなかった。

後になって、彼はヒューストンのスケートリンクでは1度もスケート靴を履かず、ずっと公衆電話の傍にいて。電話をかけたり受けたりしていた事を突きとめた。

彼はヒューストンから、テキサス州ガルヴェストンに移動している。

ジャック・ルビーがオズワルドを射殺する前夜に、ルビーはガルヴェストンに電話しているが、その時フェリーはガルヴェストンに居たのである。

私は、フェリーをさらに調べる必要があると思い、フェリーを警察に連行させた。

そこでFBIの尋問を受けさせようと考えたのだ。

当時の私には、政府が国民を欺くことがあるとは想像もできなかった。

だからFBIが驚くほどの早さでフェリーを釈放したとき、それを甘受した。

FBIが徹底的に調べた上で釈放したと思ったのだ。

(2018年8月7日に作成)


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