ロックフェラー委員会と、下院暗殺調査特別委員会
銃声録音の発見と、4つの銃声という解析結果

(『大統領の検屍官』シリル・ウェクト著から抜粋)

1974年末にウォーターゲート事件のほとぼりも冷めると、ニュース・メディアは『CIAがケネディ暗殺に関与していた件』に焦点を絞った。

テレビでは、ザプルーダー・フィルムが放映されるようになっていた。

かまびすしい議論に対処するため、ウォーレン委員会のメンバーだったフォード大統領は、CIAの疑惑の調査委員会を設置した。

そして委員長には副大統領のネルソン・ロックフェラーを指名し、『ロックフェラー委員会』と名付けられた。

フォードは、ウォーレン委員会で法律顧問補佐を務めたデイヴィッド・ベリンを、ロックフェラー委員会の事務局長に指名した。

人選を見れば、ウォーレン委員会と大差ないのは明らかだった。

ロックフェラー委員会から、私にも電話があり、ケネディ暗殺について5時間、私は話した。

その後に委員会は、私ことシリル・ウェクトが、「すべての銃弾は後方から飛んできた可能性がある。CIAが関与していた証拠は一切ない」と述べたと、主張した。

嘘も甚だしく、私の見解を故意に歪曲しようとする試みだった。

私は「証言のコピーを見せてほしい」と頼んだが、何度いっても却下されてしまった。

ロックフェラー委員会の結果に不満を持った議会は、1977年に独自の調査部会を設置した。

この部会は、『下院の暗殺調査の特別委員会』と名付けられた。

リチャード・スプレイグ弁護士が、首席顧問に指名された。

スプレイグは数多くの殺人事件を扱ってきた人物で、私にも手伝ってほしいと頼んできた。

私は引き受け、スプレイグが真剣に調査しようとしているのが分かった。

彼は、FBIが無視したり隠蔽した情報を捜し出す計画を立てた。

それを聞いた政府上層部は恐れたらしく、彼を追い出してしまった。

そして、政府の走狗であるG・ロバート・ブレイキーが取って替わった。

ブレイキーは、いんちきな結論に導くためなら、何でもやった。

私は、「弾丸の発射テストをやり直してほしい」と頼んだ。

ブレイキーが「金がかかりすぎる」と言うので、「テストの費用を全額、自分が負担する」と申し出たが、彼はそれでも拒んだ。

信じられない思いだった。

『下院の暗殺調査の特別委員会』のメンバーの大半は、様々な委員会に参加して、連邦補助金を受け取ってきた者だった。

だからだろうが、ウォーレン委員会の結論を支持した。

私はウォーレン委員会を公然と批判したため、政府からの仕事が減り、法病理医(検屍官)としてのキャリアが停滞してしまった。

調査の中で、驚くべき事実が明らかになった。

ケネディ暗殺の時に現場に居た目撃者のうち、18人が1966年までに謎の死を遂げていた。

エド・ホフマンは、生存している目撃者の1人である。

彼は聾唖(ろうあ)者で、グラシー・ノールをしっかりと見渡せる位置に立っていた。

ホフマンは当時もその後も、『グラシー・ノールの上のフェンスの陰に、バッジを付けた男がいた』とFBIに語っている。

彼が言うには、FBIの捜査官たちは、「見た事を黙っていれば、カネをやる」と申し出たそうである。

こうした貴重な証拠は、ブレイキーの手によってほとんど公表されなかった。

私は、委員会で証言をし、30分の持ち時間内で、自分の意見を丁寧に説明した。

デタラメな検屍解剖、ほぼ原形を留めている弾丸、などについてだ。

そこで、こうも証言した。

『ケネディ大統領は、はっきりと2回撃たれています。

 1発は背中、もう1発は頭部に命中しました。

 コナリー知事に命中したのは1発で、もう1発は完全に車から
 逸れました。

 おそらく、4発の銃弾が発射された可能性が一番高いです。』

委員会の会期が終わる数日前に、重大な証拠が新たに見つかった。

ダラス警察の巡査の無線マイクを通して、銃声が録音されていたのだ。

その巡査はオートバイで大統領のパレードに随行し、警察署の通信指令係と話をしていた。

音響専門家が録音を分析したところ、『4発の銃声』が確認された。

3発は後方からで、1発は右前方でグラシー・ノール方向からであった。

暗殺調査特別委員会は最終報告で、『大統領は高い確率で陰謀の犠牲となり、第2の狙撃者がいたのはほぼ疑いない』と結論づけた。

「いよいよ事態が進展するぞ」と、私は思った。

アメリカ議会が、ケネディ暗殺は巷間伝えられている形で起きたのではない、と言っているのだから。

FBIか司法省が行動に移り、調査をすると思った。

とんでもない間違いだった。

FBIと司法省は何の反応も見せず、委員会も行動を要求しなかった。

タイム誌の世論調査では、アメリカ人の4人に3人が、『何らかの隠蔽工作があった』と信じていた。

だが、新たな調査は行われず、ニュース・メディアも本気で圧力をかけなかった。

(2014年12月7日に作成)


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