ケネディ暗殺事件の調査を始め、数々の隠蔽や嘘に気付く

(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)

ケネディ暗殺事件から、ほぼ3年が経過した。

この頃になると、アメリカ軍はベトナム戦争に深く関わっていた。

ケネディ暗殺には奇妙な点がある事に、私は気付いていた。

現場にいた群衆のほとんどは、銃声はグラシー・ノール(草の茂った丘)から聞こえたと証言していたし、何人かはその小丘に向かって行ったがシークレット・サービスのエージェントと名乗る男たちに行く手を阻まれていた。

大統領の警護もおかしく、リムジンの防護用の天蓋が除かれていたし、周りのビルの窓の多くが開け放たれていた。

しかし私は、こうした点はきちんと調べられたに違いないと思っていた。

ところが1966年の秋に、上院議員のラッセル・ロングと話す機会があり、ケネディ暗殺事件に話が及んだ。

彼は「ウォーレン委員会の連中は話にならん。1人の人間がケネディをあんな風に撃てるわけがない」と吐き捨てるように言った。

ロングは知性派で知られる議員で、政界の上層部でも疑惑がもたれている事を、私は初めて知った。

好奇心を刺激されたので、ウォーレン委員会の資料を取り寄せることにした。

委員会のメンバーの背景を調べてみたが、情報機関か軍に関連のある人物が登用されていた。

アレン・ダレスはCIA長官だったし、ジェラルド・フォード下院議員も「議会におけるCIAの最良の友人」と評されている。

リチャード・ラッセル上院議員は、上院軍事委員会の委員長で、情報小委員会の委員長でもあった。

ジョン・マクロイは国防次官補を務めた人物で、外交政策を決めるトップメンバーの1人とされていた。

私は、ウォーレン委員会は徹底的かつ専門的な調査を行ったとばかり思っていた。

しかし、証拠目録さえ作られておらず、見捨てられた有力な手掛かりの多さが腑に落ちなかった。

我慢ならなかったのは、何十人もの信じるに足ると思われる証言を無視していた事だ。

暗殺現場にいた多くの人々は、大統領の前方のグラシー・ノールで奇妙な動きがあったと証言していた。

何人かの証人は、グラシー・ノールから銃声があり、木々の茂みの中から硝煙が立ち上るのを見ている。

事件をムービーで撮影していたため有名になったエイブラハム・ザプルーダーも、銃声はそっちから聞こえたと語っている。

事件直後にはグラシー・ノールから走り出した男達が目撃されており、彼らは鉄道の操車場へ向かった。

証言によると、そこで捕まり警察に連行されたという。
しかしこの逮捕の資料はない。

また、操車場付近にはシークレット・サービスのエージェントを装った男達がいたが、この点も調査されていない。

いろいろと資料を読んでいくと、ダラス警察の調査も変則的だったと分かった。

オズワルドを12時間にわたって尋問したのに、テープも速記も取られてなかった。
弁護士の同席もなく、これは憲法違反だ。

FBIが早々に捜査を打ち切っていたのも知った。

さらに軍の中佐が、「オズワルドはソビエトに亡命する直前に、ロシア語の試験を受けた」と証言していた。

1959年にはオズワルドは海兵隊に所属していたが、スパイ活動の訓練を受けていたようだ。

海兵隊の情報活動は、海軍情報部(ONI)の管轄下にある。

私は、オズワルドが配ったビラに書かれていた『キャンプ・ストリート五四四』に行ってみた。

そして、そこのビルにはかつてガイ・バニスターの事務所が入っていたのを思い出した。

バニスターは反共活動に加わっていて、リベラルな学生団体の調査もしていた。
さらにカリブ海反共同盟という極右グループのリーダーの1人でもあった。

情報収集していたら、オズワルドに雇われて一緒にビラ配りをした若者を見つけた。

オズワルドはいつも職業安定所に行って配布を手伝う男を雇っていて、彼らは2ドルの時給を受け取ったという。

オズワルドは彼らに、「新聞社のカメラマンが(取材して)立ち去るまで働いてくれれば、その後は働く必要はない」と言ったという。

この事実は、オズワルドが共産主義者ではないと私が考えるに至った、最初の証拠だった。

オズワルドが、ガイ・バニスターの下で働いていたとすると、資料に出てくる奇妙な点の説明もつく。

ウォーレン委員会の報告書では、1963年8月9日にオズワルドがビラ配りをして反カストロ派のキューバ人と喧嘩になり、逮捕されて警察署に連行された際、オズワルドは「FBI捜査官に会わせてくれ」と要求している。

そして一緒に逮捕された男たちとは別室に連れて行かれ、そこでFBI捜査官のジョン・クィグリーと話している。

クィグリーは後に、その面接時のメモを焼却しているが、これはFBIの規則に反するものだ。

こうした特別措置は、元FBI捜査官のバニスターなら出来ただろう。

(※バニスターは元FBIシカゴ支局長である)

この逮捕の1週間後、オズワルドはラジオ局の討論番組に参加したが、テーマは「資本主義か共産主義か」で、彼はマルキシストらしい発言をしている。

ケネディ暗殺後に、1週間も経たないうちにこの番組を録音したテープのコピーが、連邦議員たちに送りつけられた。

オズワルドのビラ配りもラジオ出演も、目的は世間に共産主義者だと印象づけるためだったのだ。

ガイ・バニスターの事務所のあったビルの向かいは、大きなビルだが、シークレット・サービスのニューオーリンズ支局が入っていて、海軍情報部のニューオーリンズ本部もある。

バニスターは第二次大戦中は海軍情報部におり、偶然とは思えない。

彼がその前に事務所を構えていた場所も、CIAとFBIのニューオーリンズ支局から通りを隔てた所だった。

オズワルドはビラ配りを始めるまで、レイリー・コーヒー会社の従業員だった。

その会社の社長ウィリアム・レイリーは、反カストロ運動を支持している人物だ。

このコーヒー会社の隣にあるサービス・ステーションは、オズワルドがしょっちゅう居たとの証言がある。

そのサービス・ステーションは、FBIニューオーリンズ支局の公式の駐車場で、CIA支局は数ブロックの近さだ。

大統領暗殺を狙う人間が、暇つぶしの場所としてこんな場所を選ぶのだろうか。

しかし資料を読むかぎり、連邦捜査官も政府もオズワルドが情報コミュニティの手先として使われた可能性に触れていない。

(2018年8月11日に作成)


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