オズワルドの過去を調べる①

(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)

オズワルドの正体を調べるために、彼が1958年11月から59年9月まで配属されていたカリフォルニア州のエルトロ海兵隊基地の時期の同僚に会った。

ネルソン・デルガドは、オズワルドがその基地にいた11ヵ月のほとんどの間、隣のベッドを使っていた。

デルガドは、「オズワルドはマルキシズムに傾倒する気配は全くなかった」と言う。

さらに「射撃訓練では彼は最低合格点を取るのがやっとだった。標的を外してばかりいた」とも語った。

ダニエル・パウアーズは、オズワルドとはフロリダ州の海軍通信センター、ミシシッピ州のギーズラー・フィールド、エルトロ海兵隊基地、日本の米軍基地で一緒だった。

パウアーズも、「オズワルドは共産主義に共感していなかった」と証言している。

同僚たちの証言は、オズワルドが共産主義に興味を抱いていなかったという点でほぼ一致している。

私はオズワルドがエルトロでロシア語の試験を受けた事を思い出し、スパイの訓練を受けていたのではないかと考えた。

軍部がスパイに求める特徴を、彼は備えていた。

彼の家は軍人一家で、兄弟は海兵隊や空軍に就職している。

さらに彼は生来として口数が少なく、知能は高かった。

エルトロ勤務になる以前の1957年に、日本の厚木基地に勤務していた事も、情報任務に沿うものだ。

厚木は、中国の偵察をするU-2の基地だし、オズワルドはU-2の格納庫を護る任務をしていた。

オズワルドは1959年の夏に、早期除隊を申し出ている。

そして9月に4週間早い名誉除隊が認められ、ニューオーリンズに向かった。

そこからソ連に亡命するための旅行に出たが、奇妙なところがある。

まずヨーロッパへ船で向かったが、そのチケットはニューオーリンズのインターナショナル・トレード・マート社が購入した。
同社の理事は、クレイ・ショーだ。

(※インターナショナル・トレード・マート社は、CIAがバックにいるダミー会社です)

オズワルドは船でイギリスに入ると、飛行機でフィンランドへ行った。
そこからモスクワに移動した。

1978年になって、元CIAのジェームズ・ウィルコットは下院の暗殺調査の特別委員会で、こう証言した。

「オズワルドは、ソ連において二重スパイとして働くために、CIAによって軍関係者の中から選ばれた」

1959年10月16日にオズワルドはモスクワ入りしたが、ソ連から徹底的な尋問を受けた。

2週間後、オズワルドはなんとアメリカ大使館に姿を現わし、自分はソ連に忠誠を誓うとの手紙を渡し、ソ連にレーダー管制の情報を提供すると約束したと明らかにした。

この劇的な亡命は、世界中に報道された。

オズワルドはミンスクに送られたが、快適なアパートなど多くの特権が認められた。

61年2月になると、彼はアメリカ大使館に「アメリカに帰国したい」と申し出た。

翌月にマリナ・プルサコワに出会い、2ヵ月も経たないうちに結婚した。

驚くことに、米ソ両政府は、オズワルドの帰国に反対しなかった。

アメリカ国務省は、オズワルドに帰国費用を貸すことを認め、パスポートの更新も認めた。

1962年6月にニューヨークに着いたオズワルド一家を出迎えたのは、「反ボルシェビキ国家のアメリカの友人」という団体の事務局長をするスパス・T・ライキンだった。

「アメリカの友人」は、情報機関にコネを持つ反共団体で、ウォーレン委員会によればオズワルドを援助するよう国務省から要請されたという。

オズワルドは、妻子と共にテキサス州フォートワースに移り、62年10月7日までレズリー溶接会社で働いた。

10月7日にジョージ・ド・モーレンシルト夫妻がオズワルド一家のアパートを訪れると、翌日にはモーレンシルトの住むダラスに移住することになった。

そして10月中に、ソ連に亡命した男としては不似合いだが、国防総省と契約して軍事用の地図を作る会社に就職した。

作家のヘンリー・ハートは、「この会社の業務の一部は、U-2の任務と関係があったようだ」と指摘している。

オズワルドは帰国してすぐに、機密資料に接することまで許されたのである。

ダラスでオズワルドが最も頻繁に付き合っていたのは、ジョージ・ド・モーレンシルトだった。

モーレンシルトはロシアから亡命してきた一族で、ジョージの父は帝政ロシア時代はミンスク知事だった。

モーレンシルトは数ヵ国語を話せて、第二次大戦中はフランスの情報機関で働いた。

ダラス石油クラブの一員で、親友にはシュランベルジュ社の社長ジーン・ド・メニルもいる。

ジョージ・ド・モーレンシルトは、CIAのフロント団体として知られる国際開発協力局の代表として、世界中を旅行していた。

彼がCIAの工作員だったのは疑問の余地がない。

私は後に、モーレンシルトと電話連絡し合う仲になったが、彼は「オズワルドは大統領を殺していない、スケープゴートだった」と主張した。

(2018年8月13日に作成)


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