(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)
1963年4月末に、リー・ハーヴィ・オズワルドはダラスを去って、ニューオーリンズに移住した。
妻と娘も彼の後を追い、5月9日にオズワルドはレイリー・コーヒー会社に就職した。
この会社は、ガイ・バニスターの事務所の隣にある。
ウォーレン委員会の証拠書類には、彼がレイリー社への就職に先立ってあちこちの会社に提出した応募書類のコピーがあった。
その書類を調べるほどに、私の頭は混乱してきた。
というのも、どの書類でも身長が「5フィート9インチ」になっているからだ。
オズワルドの身長は5フィート11インチのはずである。
調査していくと、彼になりすました人物が浮かび上がってきた。
1963年9月23日には、オズワルドの妻と娘がダラスに移動したが、車でダラスに運んだのはルース・ペインだ。
オズワルド夫妻は、63年2月のあるパーティでルース・ペインと知り合った。
夫妻をそのパーティに連れて行ったのは、ジョージ・ド・モーレンシルトである。
ルースの夫はマイケル・ペインというが、国防総省と大きな契約を結んでいるベル・ヘリコプター社のエンジニアリング・デザイナーだった。
ルース・ペインはロシア語も話せる人物で、彼女の父はかつで国際開発協力局(CIAのフロント団体)で働いていた。
彼女の義理の兄も、同局に勤めていた。
ルース・ペインは、自宅にオズワルドの妻と娘を滞在させた。
63年10月4日にオズワルドもダラスに着いたが、10日後にルースの紹介でテキサス教科書倉庫ビルで働くことになった。
妻と娘がペイン家に寄寓している間、オズワルドは独居し小さな部屋を何度か借り替えている。
この生活は、ケネディ暗殺の背後にいた人間に有利に働いた。
大統領が殺された時、オズワルドは孤独で狂信的なガンマンだという印象を与えることになったからである。
私はペイン夫妻の所得税申告書を調べようとしたが、ペイン夫妻の文書が秘密扱いになっていて出来なかった。
連邦政府は、「妻と娘がペイン家に寄寓している間に、オズワルドはメキシコシティに出かけてソ連大使館やキューバ大使館に接触した」と説明している。
これはCIAの情報を根拠にしているが、CIAがウォーレン委員会に提出したキューバ大使館における監視カメラで撮ったオズワルドの写真は、でっぷり太った白髪まじりの男で明らかに別人である。
CIAはキューバ大使館で働いていたシルヴィア・デュランの証言も提出したが、彼女の証言した状況は異常である。
ケネディ暗殺の翌日に、CIAはデュランを逮捕・監禁させた。
そしてオズワルドが大使館を訪れたことを認めるまで釈放させなかった。
オズワルドに成りすました者は、色々な場所に現れている。
それは彼をスケープゴートに仕立てあげるためだ。
本物のオズワルドは、情報コミュニティ(諜報機関)のベビー・シッターたちに操られていた。
彼は指示された場所へと移動していき、最後には教科書倉庫ビルに居ることになったのだ。
オズワルドとよく似た外見をしていて、一緒に海兵隊にも居た事のあるケリー・ソーンリーを調査してみると、驚くことにニューオーリンズに居たことが分かった。
2人は1963年9月には、ニューオーリンズで一緒にいるのを目撃されていた。
この時ソーンリーは、いつもは長髪なのに、オズワルドの様に短く刈り込んでいた。
ソーンリーの居場所を1年以上かけて突きとめ、彼に対する召喚状を入手して呼びだした。
彼に話をきくと、ニューオーリンズに居たのは61年2月~63年11月で、ケネディ暗殺事件の数日後にニューオーリンズを離れたという。
ガイ・バニスターやデイブ・フェリーに会っていた事は素直に認めたが、深い関係ではなかったという。
驚いたのは、ニューオーリンズにいた時にオズワルドにヒントを得て、彼の小説を書いていた事だ。
オズワルドが大統領暗殺の犯人になる前に、彼の本を書く人間など他にはいなかったはずだ。
ソーンリーは、63年の夏はカリフォルニアで過ごし、その後メキシコシティ経由で戻ったと語った。
この時期は、連保政府がオズワルドがメキシコにいたという時期と近い。
ケネディ暗殺の時は、ジョン・スペンサーから借りたニューオーリンズのアパートで暮らしていたという。
スペンサーを捜し出したところ、彼はクレイ・ショーの友人だった。
ケネディ暗殺後のソーンリーの足どりを調べたら、ワシントン郊外の高級アパートのドアマンとして働いていたのが判った。
彼はそのアパートで6ヵ月くらしたのだが、奇妙なことに彼の給料はその家賃よりも少なかった。
ルイジアナ州の最南部に、クリントンという村がある。
1963年の夏の終わりに、オズワルドは年長の2人の男と共にこの村で目撃されている。
目撃者たちの話をきくと、年長の男はクレイ・ショーとデイブ・フェリーにそっくりである。
彼らが訪れた時、村では大掛かりな選挙人登録の運動が連邦政府の支援で行われていた。
多くの人はオズワルドのことをはっきり覚えているが、なぜならオズワルドは黒人たちの行列に加わったただ1人の白人だったからだ。
オズワルドは村の理髪店で髪を切っているが、店主に「近くにある病院に就職するつもりだ」と言った。
店主が「その病院は精神病院だぞ」と教えると、彼はびっくりした様子だったという。
店主は「州議員のリーヴズ・モーガンに会うといい。選挙人として登録すれば就職口を探すのに有利になる」と助言した。
オズワルドはモーガンの自宅を訪ねて、就職の相談をした。
調べてみると、オズワルドはその州立の精神病院に応募していた。
少しの間働いたらしい。
彼をカモに仕立てようとした者達にとっては、オズワルドが転々と仕事を変え、しだいにつまらない仕事へ移っていったというイメージを作りたかったのだろう。
(2018年8月13日、19日、22日に作成)