(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)
ニューオーリンズ市でも指折りの法廷弁護士であるレイ・ギルは、1962年から63年にかけてデイヴィッド・フェリーをパートタイムの調査員として雇っていた。
レイ・ギルの事務所を訪ねて、「フェリーはここで働いていた時に、事務所から長距離電話をしていなかったか」と尋ねた。
するとギルは、「奴のおかげで私は破産しそうだった」と眉をつり上げた。
「長距離電話に我慢ならん」と言ってクビにしたという。
当時の請求書を探してもらったところ、64年1月にフェリーはクビになっていたが、63年11月(ケネディ大統領が殺された月)の請求書が無くなっていた。
秘書が言うには、フェリーは事務所のファイルを自由にいじれたという。
フェリーの長距離電話の請求書を調べたら、通話先はアメリカ国内の都市だけでなく、グアテマラ、メキシコ、カナダまで及んでいた。
ウォーレン委員会の資料にある電話記録も調べた結果、かけた先が浮かび上がってきた。
フェリーは63年9月24日にシカゴへ通話しているが、相手の電話番号はWH四一四九七〇で、ミス・A・エイシーである。
FBI報告では、シカゴに住むジーン・アーシーが出てくるが、ローレンス・メイヤーズと同行し11月21日(ケネディ暗殺の前日)にはメイヤーズに連れられてジャック・ルビーと会っている。
FBIはローレンス・メイヤーズと面接しているが、その時には彼女の名前はジーン・ウェストに変わっている。
どうも彼女は、メッセージを仲介する役目を負っていたらしい。
デイヴィッド・フェリーについて、1つ重大な情報がもたらされた。
フェリーがイースタン航空のパイロットだった時期に、彼を調査した探偵事務所があり、そこの報告書を入手したのだ。
その報告書では、フェリーの許にダンテ・マラキーニという男がしばしば出入りしているとある。
電話帳を調べてみると、マラキーニはドーフィン・ストリート一三〇九に住んでいた。
なんとクレイ・ショーの住居の隣りだった。
ドーフィン・ストリート一三〇九には、ジェームズ・ルウェレンという男も住んでいるが、フェリーのアパートに同居していた男が同じ名前だった事を思い出した。
マラキーニは、かつてフェリーと関わりがあり、現在はクレイ・ショーの隣りに住んでいる。これは何かありそうだ。
オズワルドが一時期勤めていたレイリー・コーヒー会社。
その社員の名簿を見たら、ダンテ・マラキーニの名があり、彼はオズワルドと全く同じ日にこの会社に就職していた。
そしてオズワルドが辞めた数週間後に辞職し、NASAのクライスラー航空宇宙部に就職していた。
オズワルドをレイリー社に採用したアルフレッド・クロードも、クライスラー航空宇宙部に転職していた。
オズワルドの同僚だったジョン・ブラニョンと上司だったエメット・バービーも、NASAに再就職していた。
調査したところ、ジェームズ・ルウェレンも現在は、NASAのボーイング社の担当として働いていた。
ケネディ暗殺の前夜にフェリーと一緒にいたメルヴィン・コフも、調査したらケープ・カナヴェラルの航空宇宙オペレーションに雇われていた。
フェリー、クレイ・ショー、オズワルドと関わった男たちが誰も彼もNASAで働いているのは、偶然ではあるまい。
デイヴィッド・フェリーの友人であるレイモンド・ブロシャーズは、フェリーの紹介でクレイ・ショーに会ったという。
ブロシャーズによると、ケネディ暗殺事件のあった日の午後にフェリーはテキサス州ヒューストンに出かけているが、そこで暗殺チームに加わった2人の男を待っていた。
2人の男は亡命キューバ人で、1人はカルロスという名。
フェリーの所まで単発機でやってきて、そこからフェリーの操縦する双発機で遠方に逃亡する予定だったのである。
ところがカルロスは現れなかった、とフェリーは言った。
暗殺チームの予定に変更があったのだ。
(2018年8月22日&23日に作成)