連邦政府から圧力がかかり始め、フェリーが死亡する

(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)

1967年2月17日に、ショッキングな事があった。

ニューオーリンズ・ステーツ・アイテム紙が、私のことを記事にしたのだ。

見出しは「地方検事 JFK暗殺計画を本格捜査 秘密の出張に巨額の経費」だった。

8千ドル以上を費やして調査しながら、入手した情報を発表していないと批判していた。

翌朝になると、私の事務所に報道関係者がつめかけた。

その後、デンバーの石油業者だというジョン・ミラーなる人物が、事務所にやってきた。

その男は私に会い、こう言った。

「ここ数日、地元紙があなたのことを書き立ててますな。
 嫌じゃありませんか?

 あなたが頑張られたところで混乱が増すだけです。
 この国のためにならないし、あなた自身のためにもならない。

 あなたはこんな所にいるべき人ではない。インパクトのある決定を
 下せる任務に就くべきですよ。

 連邦地方裁判所に移って、才能に相応しい仕事をすべきです。
 そういう手筈は簡単に整えられるんですよ。」

彼は微笑を浮かべていた。

「そのためには何をしたらいいんですか」と私は訊いた。

「調査を止めるんです。

 すでに地元の新聞があなたを付け回しているでしょうが。
 これは手始めなんですよ。」

私は長いこと彼を見つめ、こう言った。

「ミラーさん、私には連邦判事になりたい気持ちは毫もありません。

 ケネディ暗殺の調査を中止することはありませんよ。」

彼が事務所を去った後、部下のスキャンブラが言った。

「卑劣な連中だ。誰でも買収がきくと思ってやがる。

 アナポリス海軍兵学校の指輪をしてましたね。

 連中が次にどんな手を使ってくるか、分かってますね?」

新聞にすっぱ抜かれた結果、デイヴィッド・フェリーの様子がおかしくなった。

こっちに電話をかけてきて、「この記事のおかげで、私はもう死んだも同然だ」と言う。

マスコミが、フェリーが調査対象になっているのを嗅ぎつけ、彼のアパートに報道関係者が集まってしまった。

私たちは会議し、フェリーを大陪審に召喚するかを討議した。

すると電話が鳴り、「フェリーが死に、もう検死官がアパートに行った」という。

私は衝撃をうけたが、検事局の捜査官と共にフェリーのアパートに向かった。

室内は汚く、何もかも何年も洗ったことのない感じだった。

フェリーの遺体は、すでに検死官によって運び去られていた。

遺書は2通あり、遺体の横のテーブルには様々な薬のビンが乗っていた。

検死官がなぜ証拠となりうる薬ビンを放置したまま立ち去ったのか、不思議だった。

フェリーが遺書を残して死んだと知り、マスコミが続々と取材に来た。

ところが2月25日に検死官が自然死だったと発表すると、報道陣はさっさと帰ってしまった。

私には彼らの態度は不可解だった。というのも2通の遺書が残されていて、自然死ではない確率が高いからだ。

私たちはフェリーの死の究明にとりかかり、薬ビンを調べてみた。

薬の中にはプロロイドがあった。これは甲状腺の機能を高めるものだが、フェリーはむしろ高血圧に悩まされていた。

医者の友人に電話をかけて聞いたが、高血圧の人がプロロイドを大量に飲めば、心臓麻痺か脳の血管破裂ですぐに死ぬと教えてくれた。

検死官の発表では、脳の血管破裂がフェリーの死因と記されている。

残念なことに血液も髄液も保存されておらず、プロロイドの過剰服用があったかは調べられなかった。

(2018年8月23日に作成)


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