(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)
デイヴィッド・フェリーが死んでみると、彼と同じく事情に通じているクレイ・ショーが生きていられるかが心配になってきた。
そこで私たちは、ショーを起訴するか判断するために、彼に召喚状を送った。
彼は検事局にやってきたので、時間をかけて尋問したが、彼が嘘をついているのがはっきり分かった。
私は、ショーの逮捕令状と家宅捜索令状を入手することに決めた。
ショーを逮捕して押収したものの中で、最も興味をひかれたのは、彼の住所録だった。
彼はヨーロッパの貴族たちと交際していて、爵位を持つ人々が住所録にのっていた。
CIAにとって、宮廷風のマナーを身に付けたショーは、貴族と接触する任務にうってつけだったのだろう。
(※クレイ・ショーは、CIAに雇われた工作員と後に判明している)
住所録には、「リー・オドム テキサス州ダラス 私書箱一九一〇六号」という一行もあった。
この私書箱一九一〇六号というのは、オズワルドの住所録にも記載されているものだ。
オズワルドが殺された1963年当時は、これほど大きな数字の私書箱は存在しなかった。
それを考えると謎は深まる。
ショーの家宅捜索では、鞭や鎖や黒いフードが見つかり、ベッドルームの天井には2.5フィートほどの間隔を置いて2つの大きな鉤が埋め込まれていた。
クレイ・ショーが逮捕されると、連邦政府もマスコミもいきり立った。
司法長官のラムゼイ・クラークからは、「連邦政府はすでにショーがケネディ暗殺とは無関係であるとの結論に達している」との連絡がきた。
クラーク司法長官は「ショーは取り調べを受けた上で無実となった」と発言したが、その後なぜ取り調べを受けたのかとの疑問を人々が口にしだすと、「発言は誤りだった。ショーは取り調べを受けていない」と修正した。
マスコミは、私の調査に対して、「州知事や上院議員のポストを狙っての行動だ」と歪曲した。
1967年3月14日に始まったショーの予備審問は4日間に及んだ。
私たちは2人の証人を召喚した。
その証人の1人であるペリー・ラッソーは、「1963年9月の中頃にデイヴィッド・フェリーのアパートで、フェリー、亡命キューバ人、クレイ・ショーとケネディ暗殺計画を話した」と証言した。
もう1人のヴァーノン・バンディは、「1963年7月のある朝、ポンチャートレーン湖の堤防でショーとオズワルドが会い、ショーは丸めた現金らしきものをオズワルドに渡していた」と証言した。
1967年6月に、NBCが私の調査を歪曲して攻撃する番組「ジム・ギャリソン事件」を放送した。
NBCがなぜ私たちの裁判を粉砕しようとするのか知りたくなった。
NBCはRCAの子会社だが、調べてみるとRCAは軍隊で使う無線やレーダーの開発に携わり、国防機構の一部となっていた。
軍との契約は、1960~67年にかけて10億ドル以上も増加していた。
(2018年8月25日に作成)