(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)
ダラス警察のJ・D・ティピット巡査は、ケネディ大統領が暗殺された30分後に、ダラス郊外のオークパークで射殺された。
ウォーレン委員会もダラス警察も、この犯人はリー・オズワルドだとしている。
この結論は、ケネディ暗殺の動機づけとして好都合だ。
オズワルドは暴力的な男で、大統領を殺した後に巡査も殺したというわけである。
しかし、オズワルドの足どりから考えて、ティピットが殺された時間に現場に居るのは不可能だ。
目撃者の証言から、ティピットが殺されたのは午後1時6~10分の間である。
一方オズワルドが下宿に戻ったのは1時で、下宿の管理人はバスの停留所に立つ彼を1時4分に見ている。
ティピットが殺された場所は南へ1マイル離れており、現場に殺害時刻に到達するのは不可能だった。
ティピット殺しを目撃した人々も、犯人はオズワルドとは別人だったと語っており、殺されたくなければ目撃したことを他言するなとダラス警察の警官たちから言われたとも語っている。
私が目撃者に話をきいたところ、犯人は2人組だったこと、ティピットを殺した後に1人はグレーの車に乗って去り、もう1人は徒歩で走り去ったことを知った。
FBIのフーヴァー長官は、こうした重要証言をする目撃者を尋問しないように、部下に命令を発していた。
ティピットの遺体から取り出された銃弾も、2人組の犯行だと示している。
4つの銃弾が取り出されたが、そのうち3つはウィンチェスター・ウェスタン社製で、残る1つはレミントン。ピーターズ社製だったのだ。
なぜかダラス警察は、FBIの研究室に弾を1つだけ送り、遺体から発見されたのはそれだけだと報告した。
FBI研究室は「この弾はオズワルドが所持していたリヴォルヴァーから発射されたものではない」と報告したため、ウォーレン委員会は他の弾を捜すことになった。
残る3発が4ヵ月後にFBI研究室に送られたが、研究所はオズワルドのリヴォルヴァーから発射されたと断定できなかった。
考えてみると、ティピットを殺したのが2人組だったのは当然と思われる。
訓練を積んだ警官を殺すには、少なくとも2人は必要だったろう。
ダラス警察は、隠蔽工作に関わったのが明らかだ。
テキサス教科書倉庫ビル6階で七・六五モーゼルを発見しながら、すぐにそれを紛失してしまっている。
オズワルドを12時間も尋問しながら、全く記録を残していない。
ケネディ暗殺の現場近くで逮捕した数人の容疑者を、名前と顔写真さえ控えずに釈放している。
極めつけは、当の警察署の地下室で、何十人もの警察に囲まれていたのにオズワルドが(ジャック・ルビーに)射殺されたことだ。
(2018年8月26日に作成)