(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)
私と同様にケネディ暗殺を調査しているマーク・レインから、ウィリアム・S・ウォルターという元FBI職員を紹介された。
ウォルターに会うと、こんな話をしてくれた。
ケネディ暗殺の5日前の夜に、ニューオーリンズのFBI支局で夜勤をしていたが、テレタイプから「大統領暗殺の企てがある」との警告が流れてきた。
ウォルターは、5人の捜査官にこの事を電話で連絡した。
彼はテレックスの写しを持っていたが、そこには「1963年11月22日23日に予定のパレードの際に、反体制グループによりケネディ大統領暗殺が企てられることもあるとFBIは判断。各支局はただちに警察や情報提供者に接触し、この脅威の真実性を調査されたし。」とある。
このテレックスはFBI長官から各地の特別捜査官に宛てられたものだが、FBIはその後に何の手も打たなかった。
この警告がシークレット・サービスなどにも連絡されていたら、パレードが中止されたり、大統領のリムジンに防護用の天蓋が使われたりしたはずだ。
パレードのルートに沿った建物の窓を閉めさせる事も出来ただろう。
FBIは、この警告をしたことを国民やウォーレン委員会に報告していない。
その後、C・A・ハンブレンが公にした情報を知った時、この警告はさらに重大な意味を持つと思えた。
C・A・ハンブレンは、電報会社(ウェスタンユニオン)のダラス事務所の責任者だったが、「暗殺事件の10日前にオズワルドがやってきて、ワシントンの海軍長官に電報を打った」と証言したのだ。
オズワルドが何度か海軍長官宛てに抗議文を出していた事を、私はすでに知っていた。
ハンブレンは、「オズワルドは何度か姿を見せ、彼宛ての郵便為替を受け取っていた。身分証明には図書館の貸出カードと海軍の身分証を使っていた」と言う。
オズワルドが電報を打った5日後に、FBIは警告のテレックスを支局に送っている。この2つには関連があるのだろうか。
リー・ハーヴィ・オズワルドとFBIは繋がりがあった。
オズワルドの住所録には、FBIダラス支局の捜査官ジェームズ・ホスティの名前と電話番号が載っていた。
またケネディ暗殺の数年後に、新聞に「オズワルドは暗殺事件の直前にFBIダラス支局に出向き、FBI捜査官のホスティに宛てた手紙を残した」と載っている。
ホスティは「FBIの命令でその手紙は破棄した。この件はウォーレン委員会に言わないようにFBIから言われた」と証言している。
オズワルドがFBI支局に出かけ、手紙を受付に託すというのは、私には納得ができた。
私は短期間だがFBIに勤務していた事があり、情報提供者がメッセージをFBIの連絡員の名を書いた封筒に入れて受付に託すのを、しばしば見ていた。
1964年にはテキサス州の検事総長ワゴナー・カーが、「ダラス保安官事務所のアラン・スエットから、『オズワルドはFBIの秘密の情報提供者で、月額200ドルの報酬で雇われていた』と聞いた」と、ウォーレン委員会で証言している。
だがウォーレン委員会は、アラン・スエットらを召喚しなかった。
ちなみにケネディ暗殺の時、FBIは銃撃の2時間半後までオズワルドを容疑者として挙げなかった。
ダラス警察のジャック・レヴィル警部補によれば、午後2時50分にFBI捜査官が警察本部に来て「この容疑者が大統領を暗殺した可能性がある」とオズワルドのことを伝えた。
そしてそのFBI捜査官とは、ジェームズ・ホスティだった。
ジェームズ・ホスティは、オズワルドをカモに仕立て上げる工作に従事していたのだろうか。
FBIが大統領暗殺の陰謀に加担していたと考えれば、テレックスで送った警告に対応しなかった事の説明がつく。
オズワルドは罠がかけられていると気付いて、暗殺事件の10日前に海軍長官に電報を打ったのかもしれない。
もしオズワルドがFBIに秘密の情報提供者として雇われていたのなら、ガイ・バニスターらの団体に潜入して情報をもたらすことが自分の任務と考えていただろう。
そしてケネディ暗殺計画をホスティに報告したのかもしれない。
ホスティが反応を示さなかったので、頭越しに海軍長官に打電したのだろうか。
そして海軍長官がFBI本部に連絡し、FBIが警告のテレックスを送ることになったのか。
しかしオズワルドは、CIAにも雇われていた。
だから陰謀に関する情報を、ホスティやFBIに伝達しなかった可能性もある。
いずれにせよ、オズワルドは暗殺計画を知りすぎたため、ケネディ暗殺から3日と経たないうちに殺されたのだ。
(2018年8月31日&9月1日に作成)