クレイ・ショーの裁判

(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)

1969年1月29日に、クレイ・ショーの裁判が始まった。

法廷の入口は、集まった報道関係者で一杯だった。

クレイ・ショーと弁護士が着席した後、エドワード・ハガティ判事が入廷し着席した。

まず陪審員の選定があり、決まったときには2月になっていた。

私は検察側として出廷し、最初の証人としてルイジアナ州クリントンの住人たちを喚問した。

彼らはケネディ暗殺事件の2ヵ月前に、クレイ・ショーとデイヴィッド・フェリーと共にいるオズワルドを目撃していた。

ショーの弁護団には、リチャード・マシューズという弁護士がいた。

彼はときどき被告席に近づいて、ショーと小声で話していた。
こんな事はそれまで法廷で見たことがなかった。

私はマシューズのことを、彼がルイジアナ州から日本へ移る以前から知っていた。

日本に移る時に、「日本でどうやって弁護士業を営むつもりなのか」と尋ねたが、彼の返事はあいまいだった。

それ以来会っていなかったが、突如としてショーの裁判で現れたのだ。

「この男はCIAで働いているのだ」と直感的に思った。

この勘が正しかったことは、1975年にCIAで働いたビクター・マーケイティのした話で証明された。

彼はトゥルー誌の記事でこう触れている。

「クレイ・ショーの裁判が行われている間、リチャード・ヘルムズ
 CIA長官が何度か、話題にし心配していた。

 私が同僚にショーのことを聞くと、こういう返事がきた。

 『ショーは以前にCIAの仕事をしていた。
  奴は貿易の仕事をしていて、ある地域の連中をよく知っていた
  から、任務を帯びてその連中と接触していたんだ。』」

私はケネディ大統領を狙撃したのが複数の人間であることを証明するために、ダラスから証人を何人か喚問した。

証人たちは、「大統領が頭部の前面を撃たれるのを目撃した」とか「銃声がグラシー・ノールから聞こえた」と語った。

さらにザプルーダー・フィルムも用意し、それを分析していたカンザス大学のジョン・ニコルズ准教授も召喚した。

ザプルーダー・フィルムは、ウォーレン委員会にFBIが提出していたが、一般の人々が見る機会はまずなかった。

フィルムを上映し、ニコルズ博士はまず「銃弾は前方から来たと考えます」と述べた。

さらに「大統領は後方からも撃たれました。後方からの銃弾は複数の角度でケネディの肉体に当たっており、狙撃者は2ヵ所にいました」と付け加えた。

陪審員たちに、この証拠が強烈な印象を与えた。

あとはショーとケネディ暗殺を結びつけるのが、私たちの仕事だった。

そこで次に、クレイ・バートランドとクレイ・ショーが同一人物だと証言する人たちを呼んだ。

ところがここで、ハガティ判事は陪審員に席を外すように命じ、証言を信用しないと言い出した。
ハガティは法律を歪曲したのだ。

その後、ショーの弁護団は、ショーの声望を力説する証人などを呼んだ。

被告人側の証人には、ピエール・フィンク中佐もいた。

フィンクは、ベセスダ海軍病院で行われたケネディの検死に加わった3人の病理学者の1人である。
(他の2人は、ジェームズ・ヒュームズ中佐とソーントン・ボズウェル医師)

この検死は、いくつも不審な点がある。

例えば、テキサス州法ではダラスの死体仮置場で病理学者によって検死されるまでは、遺体を市から運び出せない。
だがシークレット・サービスは遺体を空港に運び、大統領専用機でベセスダ海軍病院へ移してしまった。

そして検死時に病理学者たちは、首の傷を調べなかった。

15~20枚の写真やX線写真が撮られたが、それは非公開になってしまった。

だから私たちは、反対尋問でフィンクにたくさんの質問をした。

その結果、『検死室に、軍人、シークレット・サービス、FBI捜査官らが大勢いたこと』『海軍の外科医であるキニイ提督から、検死に関して議論するなと命じられたこと』『頭部の切開はするなと命じられたこと』が明らかになった。

1969年3月1日に、クレイ・ショーは無罪の判決を受けた。

陪審員たちが無罪にした理由は、「ショーがケネディ暗殺に加担する動機がない」というものだった。

ショーの動機は、CIAの工作員だった事と、ケネディの外交政策を阻止しようとしていたからだ。

しかし当時は、ショーとCIAの繋がりを示す証拠はなく、この動機を持ち出すわけにいかなかった。

リチャード・ヘルムズ元CIA長官が、法廷でショーとCIAの繋がりを認めたのは、1979年のことである。

私は裁判が終わった2日後(3月3日)に、ショーを偽証罪で起訴した。

ショーが法廷で「デイヴィッド・フェリーに会ったことはない」と証言していたからだ。

ショーとフェリーが一緒に居るのを目撃した人を、私はたくさん知っていた。

正直なところ、もう手を引きたかった。

連邦政府とその情報機関を相手にするのも、政府を支持する報道関係者たちを相手にするのも、うんざりしていた。

しかし、私の恣意が許される余地はなかった。
ショーが偽証して法律を嘲笑したときに、起訴は自動的に決まったのである。

ショーの弁護士たちは、連邦政府に対して、私の起訴を禁じるように求めた。

だが法律では、連邦裁判所が州の訴訟に介入するのは難しい。

ところが連邦地方裁判所は、起訴を禁じてしまった。

ともあれ私は、その年に行われた地方検事の選挙で再選された。

(2018年9月5~6日に作成)


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