ギャリソンは連邦政府から不当に訴えられる①

(『JFK ケネディ暗殺犯を追え』ジム・ギャリソン著から抜粋)

1971年6月30日に、私はいきなり連邦捜査官に逮捕された。

早朝に食事していると玄関のベルが鳴り、ドアを開けると連邦政府の連中がどかどかと入ってきた。

国税庁(IRS)のバッジを示し、一枚の紙片を差し出して逮捕するという。

捜査官にはさまれて玄関を出ると、大きなアンテナを付けた新しい車がずらりと並んでいて、トランシーバーを持つ男たちが大勢いた。

私は車に押し込まれて、連邦裁判所に連れていかれた。

独房に入れられ、やがて法廷に連れていかれて嫌疑内容が読み上げられた。

賭けピンボールの組織犯罪を見逃してきたという。

事実は、私は誰よりもピンボール賭博を取り締まっていた。

連邦政府はそれを知らずに、多くのルイジアナ州の地方検事と同様にピンボール賭博を見逃していると考えたらしい。

ピンボール賭博に目を付けたのは、それが連邦政府の管轄だったからだ。

逮捕した本当の理由は、私がケネディ暗殺を調査していたからだ。

保証金支払いをして保釈されたが、公判までに2年2ヵ月かかった。

そして時々、裁判所に出頭して手続きをしなければならなかった。

結局、73年8月20日に公判が開始されたが、私が地方検事の四選を目指して闘う選挙は11月10日に予定されていた。

私は無罪になったが、公判が1ヵ月続いたため、選挙戦の準備不足となり2000票差で敗れた。

12年にわたって務めた地方検事を辞めた日、部下のアンドルー・スキャンブラが涙をにじませて訊いてきた。

「ケネディ暗殺の調査をして何年にもなりますが…。
 連邦政府を負かすことができると本当に思っていたんですか?」

私はスキャンブラの肩に手をのせて答えた。

「一瞬たりとも勝利を疑ったことはなかったよ。」

(2018年9月19日に作成)


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