ムーニーは殺人を重ねていく

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

1926年9月の中頃にムーニーは、フォーティツーの仲間と強盗をした。

ところが店主のジラールが銃を持ち出し、銃撃戦になった。

ジラールは死に、ムーニーらは逃げおおせたが、アレックス・バーバという目撃者がいてムーニーらは逮捕された。

保釈金は2.5万ドルだったが、アントニオは再びエスポズィートから金を借りてムーニーの身柄を引き取った。

裁判は翌27年の4月に行われることになった。

10月にアントニオの後妻のメアリーが、自動車に轢かれて亡くなった。

その後ムーニーは、残された4歳の弟チャックへの愛着は一層深まった。

27年になりジラール殺しの公判が近づくと、ムーニーは懲役または死刑になるのを恐れて、目撃者アレックス・バーバを脅した。

しかし効果がなかったので、証言しないでくれれば2千ドル払うと交渉した。
それでもバーバは動じなかった。

ムーニーはバーバを殺すと決意し、フォーティツーのメンバーのディエゴ・リッコがバーバの店へ行きナイフで刺し殺した。

ジラール殺しは証拠不十分で不起訴となり、ムーニーは安堵の胸をなでおろした。

(2018年9月28日に作成)


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