(『ゴッドファーザー伝説(ジョゼフ・ボナーノ一代記)』ビル・ボナーノ著から抜粋)
私の父であるジョゼフ・ボナーノは、映画にもなった小説『ゴッドファーザー』の主人公ドン・コルレオーネのモデルである。
そして私は、コルレオーネの息子マイケルのモデルである。
しかしあの作品は、しょせんはフィクションであり、実体を伴うものではない。
それがこの回想録を書く所以である。
私の家系は、マフィオーソの出で、ボナーノ一族はシチリア島のカステラマーレ・デル・ゴルフォ地方の名門である。
父方の曽祖父であるジュゼッペ・ボナーノは、イタリア統一運動の指導者だったガリバルディの盟友だった。
1870年にガリバルディの軍勢が、強力なブルボン王朝の軍によって殲滅の瀬戸際に立たされた時、救援に向かったのはボナーノ一族だった。
シチリア人は、何世紀にもわたって征服者たちに支配されてきた。
シチリア島で多くの土地を所有するのは、不在の地主たちで、彼らは軍隊を使って支配していた。
そのため征服者たちと上手くやっていくために、誤魔化し、協力、懐柔といった手段を使わざるを得なかった。
伝統的にシチリア人は、昼は権力者を褒めそやし、夜には法を破っていた。
私の大叔父のジュゼッペは、マフィオーソの一員で、クラン(※一族もしくは党派の意味)の正式なメンバーになりたがる若い信奉者を抱えていた。
ある日、大叔父はその信奉者にシャツを脱ぐように命じ、牛追い鞭を手に取ると、皮膚が裂けるほど若者の背中を打ち続けた。
若者は大叔父を信じて、それを受け入れた。
鞭打ちを終えると、大叔父は自分もシャツを脱いで、鞭を傷ついた若者に渡して、「同じ強さで同じ時間、自分を鞭打て」と命じた。
若者は言われた通りにした。
この2人の性質こそ、マフィオーソである。
これを受容と呼んでも、サドとマゾと呼んでも構わないが、こうした人間関係が我々の伝統なのである。
(※現代の私たちから見れば、単なる変態野郎、変態関係である。
マフィアの後進性がよく分かる。これは日本のヤクザにも見られるものだ。)
マフィアの伝説的な起源は、次のとおりである。
1282年にフランス軍が、シチリア島を占領した。
フランス兵は異常に粗暴で、ある日に娘を暗がりに引きずり込んで強姦した。
その娘の婚約者は屈辱を舐めさせられ、復讐を決意した。
そして凌辱した兵士を探り出し、こっそりと後ろから近づいて暗殺したのである。
マフィアにおいて重要なのは、名誉である。
侮辱を我慢することはあり得ないし、弱い者を虐待するのも許されない。
シチリア人はずっと占領下にいたせいだろうが、裁判を求めない。
アメリカでは昼食の金をカツアゲされたら、その子は先生の所へ行って裁きを求める。
だがシチリアでは、金を奪われた子は盗んだ子の家の近くに棍棒を持って隠れ、その子が通りざまに襲いかかるのだ。
19世紀にガリバルディがイタリア統一を果たすと、シチリアもイタリア王国の一部になった。
シチリア人は、ガリバルディを支持してきたにも関わらず、自分たちが新たな征服者の下にいると気付いた。
不在地主はそのままだったし、島民は貧しいままだったからだ。
統一後にイタリア政府が徴兵制を立法化した時、シチリアの若者は山中にこもって山賊となった。
そして私有地への襲撃を行った。
19世紀の終わりに、シチリア人は大挙してアメリカに移住を始めた。
移住した者は、シチリアで作り上げてきたファミリーやクランを、そのまま持ち込んだ。
1930年には、ニューヨークには5つの(マフィアの)ファミリーが存在し、その全てをジョゼフ・マッセリアが牛耳っていた。
彼らは警官や政治家を懐柔し、うまく活用した。
ほとんど理解されていないのは、マフィアの強さは暴力ではなく、外部の者との交渉術だということだ。
マフィアの世界では、誰と誰が繋がっているかを分かっていなければならない。
実際に各ファミリーは、血縁で繋がっていた。
だが1929年に、デトロイトのボスだったガスパール・ミリアッツォが、ニューヨークのマッセリア一派に殺された時、アメリカで大規模なマフィア戦争が勃発した。
皆が復讐心にかられたからである。
(2022年11月5日に作成)