(『大統領の検屍官』シリル・ウェクト著から抜粋)
1991年11月に私は、リー・ハーヴィー・オズワルドとケネディ暗殺に関するKGBの報告書のコピーを、ひそかに入手した。
KGBは、ソ連崩壊の影響をまともに被っており、記者マーク・カリデンが報告書を入手したのだ。
ロシアに詳しいFBI捜査官の1人が翻訳してくれた。
35ページに及ぶそのファイルによれば、1959年にオズワルドがソ連に亡命した時、KGBは彼のことを「CIAかアメリカ軍のスパイだ」と思った。
オズワルドはずっと監視され、3人の同僚と肉体関係のあった2人の女性は、オズワルドの行動を報告していた。
マリーナに関しては、オズワルドの友人としか書かれていない。
他のアメリカ人スパイと連絡を取るのは発見されず、「オズワルドは神経質で怒りっぽく、酒と女に弱い」と書かれている。
ある書類では、「彼はアメリカ軍情報部でロシア語を習った」とある。
興味深い記述としては、「オズワルドが当地で目的を遂げた、もしくはアメリカで別の仕事があるとアメリカ情報部が判断すれば、帰国を許されるだろう」とある。
報告書は、ケネディ暗殺にも触れているが、あまり詳しくはない。
KGBは、オズワルドの単独犯行というアメリカ政府の発表を信じていなかった。
「『アメリカ情報部コミュニティ内の党派が関与した』という証拠がある」と書いてある。
(2014年12月25日に作成)