(『ゴッドファーザー伝説(ジョゼフ・ボナーノ一代記)』ビル・ボナーノ著から抜粋)
1954年の時点で、私の父であるジョゼフ・ボナーノと、ジョゼフ・ケネディは、30年来の知己だった。
(※ジョゼフ・ケネディは、アメリカ大統領になったジョン・F・ケネディの父である)
2人共、困っている者たちにカネを渡して支援し、その見返りに忠誠を得て、交際範囲を広げる人だった。
1954年の春に、ジョゼフ・ケネディが私の父に会いに来た理由は、上院議員に選出された息子ジョンのために、カネと支援を求めたのである。
父はニューヨーク・マフィアの5大ファミリーのうち、ボナーノ・ファミリーのボスであり、1932年にフランクリン・ルーズベルトが大統領選に当選した時も関わっていた。
ニューヨークでは、5大ファミリーの支援なしには、民主党の候補は誰一人として選挙で勝てなかった。
ジョゼフ・ケネディは、かつて酒の密輸を仕事にしていたが、当時の仲間はフランク・コステッロだった。
ニューヨークのサグ・ハーバーがコステッロの根城で、ケネディはそこを使ってウィスキーをヨーロッパから密輸入していた。
(そのころは禁酒法の時代だった)
1956年になると、民主党の副大統領候補の1人にジョン・F・ケネディがなった。
ジョゼフ・ケネディは、私の父をまた訪ねてきて、息子の支援を要請した。
2人は2日間、膝を突き合わせて話し合った。
場所はアリゾナ州の民主党副議長であるガス・バッタグリアの農場だった。
当時の大都市では、集票マシン(※投票先を指示できる大規模な組織)のほとんどがマフィアの影響下にあった。
ジョゼフ・ケネディは、「今回は共和党候補のアイゼンハワーを打ち破るのは難しいが、民主党の副大統領候補になっておけば将来に大統領になりやすい」と考えていた。
私の父は、(自分のシマである)ニューヨークとアリゾナの民主党議員たちと共に、ジョン・F・ケネディの支援をすることを決めた。
私はその頃、ニューヨークのナイトクラブ「ストーク・クラブ」に頻繁に足を運んだ。
ここは著名人とマフィアのボスが肩を触れ合わせる場所で、ミルトン・バール、ドロシー・ラムーア、クラーク・ゲーブル、トニー・ベネット、マリリン・モンロー、ミッキー・マントルら芸能人がやってきた。
ゴシップ好きのコラムニストであるウォルター・ウィンチェルや、フーバーFBI長官も常連だった。
(2022年11月5~6日に作成)