ポール・リッカは賄賂を使って早期出獄する

(『ダブルクロス アメリカを葬った男』チャック・ジアンカーナ著から抜粋)

1946年の年末に、ムーニーはチャックに耳打ちした。

「ポール・リッカとその一党が、近々出獄するらしい」

ムーニーは、ボスのリッカらが服役中の3年間に、トップの地位を確立していた。

「ポール・リッカは、俺なら皆に金儲けさせられるのが分かってる。
 大事なのはそこだ。

 俺はギャンブル事業で能力を見せつけた。いずれボスになる。」

ムーニーによれば、リッカの早期出獄はマレー・ハンフリーズの手柄だった。

ハンフリーズはワシントンに足を運び、検事総長のトム・クラークに力添えを頼んでいた。

「ポール・リッカはクラークに、釈放に力を貸せば最高裁の椅子まで
 約束していた。

 俺たちは大統領も押さえてる。俺たちのホワイトハウスだ。」

ムーニーの言葉通り、リッカは47年早々に非難が渦巻く中で釈放された。

そしてトム・クラークは、トルーマン大統領によって最高裁判事に任ぜられた。

一方トルーマンは、来るべき48年の大統領選でのシンジケートの支援を得た。

ムーニーは、下院議員のジミー・アダクティと共に「ウィンディ・シティ」という名の会社を興した。

この会社は、ソフトボールのリーグを設立するという触れ込みだったが、ムーニーによると賭場の隠れ蓑の1つだった。

(2018年10月15日に作成)


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