(『大統領の検屍官』シリル・ウェクト著から抜粋)
オリバー・ストーンの作った映画『JFK』が公開されると、アカデミー賞の何部門かにノミネートされた。
私は、ストーン監督からの依頼で、いくつかのシーンを手伝っていた。
『JFK』は高く評価されたが、驚くことに「ニューヨーク・タイムズ」や「ワシントン・ポスト」は酷評した。
ニュース・メディアは、「この映画は、真実を誇張し歴史を曲解している」とし、FBIやCIAに立ち向かおうとしなかった。
『JFK』は、国民の注意を再びケネディ暗殺事件に向けさせた。
2029年まで封印されている下院暗殺調査委員会のファイルについても、公開を求める動きが高まっている。
1992年には「JFK記録収集法」が成立し、暗殺に関する政府の全書類を再検討することになった。
1991年1月に、私はフロリダ州のフランク・ラガノ弁護士と話し、『ジミー・ホッファがケネディ暗殺を命じたという説』を詳しく聞いた。
ラガノは、1960~70年代にマフィアの弁護士を務めていた。
ラガノ
「1963年の初めにジミー・ホッファから、フロリダ・マフィアのボスであるサント・トラフィカンテとニューオリンズ・マフィアのボスであるカルロス・マルセロへの伝言を頼まれた。
ホッファは、『大統領を殺せ』と私に伝えさせたんだ。
私は、2人が冗談だろと笑いとばすと思っていたが、2人はひどく深刻な顔つきで視線を交わしたんだ。 」
弁護士が伝言を頼まれるのは、弁護士は依頼人との権利・義務にしばられ、当局に伝言の内容を明かせないからだ。
ラガノ
「ケネディ暗殺のニュースがテレビで流れると、数分後にホッファが電話をかけてきて、『良いニュースを聞いたか?』と尋ねてきた。
その夜遅くには、ホテルのバーでトラフィカンテと会い、ケネディの死を祝って乾杯した。」
CIAがマフィアと関係を持っているのは、誰でも知っている。
第二次世界大戦中には、情報コミュニティはイタリア侵攻のために、マフィアのボス(ラッキー・ルチアーノ)に頼った。
CIAは、マフィアを使ってキューバのカストロを暗殺しようともした。
フーバー長官が率いるFBIは、ケネディ暗殺の犯人を熱心には捜さなかった。
フーバーは、1950~60年代を通じて「アメリカではマフィアは活動していない」と言い続けた人物だ。
ケネディは、「CIAを解体したい」と表明していた。
そのため、CIA内にはケネディを殺そうと考えた者がいたのだ。
(2014年12月25日に作成)