(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
1884年の大統領選挙では、ニュー・イングランドの貴族出身者が中心となって、「マグワンプ」という改革派の勢力が結成された。
このグループは、清廉で有名だったクリーブランドを支持し、支配下に置いているマスコミを使って宣伝をした。
そして、大接戦のすえに民主党候補のクリーブランドが当選をした。
クリーブランドは強度の自由放任論者で、「人民は政府を支えるが、政府は人民を支えるべきではない」と語っていた。
彼は、余った国費を浪費する議会に反対し、利権がらみの公共事業を拒否した。
クリーブランド大統領の最大の政策は、『関税の引き下げ』だった。
元来、共和党は保護関税に賛成、民主党は反対の立場だった。
関税の引き下げは決着をせず、1888年の大統領選挙の最大の争点となった。
そして、大接戦のすえに共和党のハリソンが当選した。
(投票数では、クリーブランドの方が10万票上回っていた)
ハリソンの当選により、関税は49.5%まで引き上げられた。
1892年にクリーブランドは再選を果たした。
そして、関税を引き下げる『ウィルソン・ゴーマン関税法』を成立させた。
(2013.1.3.)