(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
1870年代は深刻な不況で、75年にはNYの失業者は3分の1に達した。
70年代は、ストや抗議運動は経営者に押さえこまれ、流血の闘争が繰り返された。
そして、労働者は常に敗北した。
1880年代の後半になると、8時間労働を要求する運動が全国的に展開され、アメリカ労働総同盟(AFL)が台頭した。
AFLは、サミュエル・ゴンパーズが会長となり、アメリカ社会に定着した。
それゆえにゴンパーズは、アメリカ労働運動の父と呼ばれている。
ゴンパーズはユダヤ系のイギリス移民で、政治体制よりも利益を優先し、社会主義は目指さなかった。
アメリカ社会は、社会主義に対して否定的だった。
AFLは熟練労働者を重視した。
不熟練労働者は、労働運動に参加するとすぐにクビにされてしまうためだった。
AFLは、法律の実現による解決ではなく、労使交渉で解決しようとした。
法に頼ると、かえって公権力に支配されると考えたからだった。
(2013.1.3.)