1890年代のまとめ(人民党・96年の大統領選・外交)

(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)

ギルデッド・エイジは1880年代で終わり、1890年代は労働運動が盛り上がった。

1890年代の特徴を挙げると、次の6点になる。

①1892年に人民党が結成されて、黒人も政治に動員され始めた。

②「フリーシルバー」(銀貨の無制限鋳造)論が盛んになった。

③1896年の大統領選挙では、南北戦争後では初めて、二大政党が激しく対立し、連邦に亀裂がはしった。

④労働運動の闘争が多く起きた。

⑤それまでは少なかった東欧・南欧からの移民者が、移民の大部分を占めるようになり、アメリカ社会に分裂が起こった。

⑥米西戦争によって、スペイン領だった地域を支配化に入れた。

○ 人民党について

人民党は、西部の農民団体が中心となり結成した。
金権勢力を批判し、国を人民の手に取り戻そうと訴えた。

そして、「インフレ政策」「累進所得税の導入」「郵便貯金制度の採用」「移民の制限」「私的傭兵の禁止」「人民投票」などを提案した。

特に主張したのは「フリーシルバー」(銀貨の無制限鋳造)で、金本位制によって人民は搾取されている、とした。

南部では黒人と白人の統合を主張したが、白人は貧困層でも黒人への差別思想を持っていたので、支持されなかった。
そのため人民党も、人種差別賛成に方向転換した。

この方向転換もあり、南部では急速に黒人差別の拡大が進行した。

○ 1896年の大統領選挙

争点は、「金本位制かフリーシルバーか」であった。

民主党はフリーシルバー派で、共和党は金本位制だった。

人民党は民主党と連合して、民主党候補を支持した。
しかし、共和党のマッキンリーが当選し、共和党がこれ以後長く優勢になったために、人民党の勢力がいちじるしく弱まってしまった。

共和党のマッキンリーが当選したために、金本位制の存続は決定的となった。

この後、共和党の優位はウィルソン時代を除いて1930年代まで続く。

○ 外交

政府は海外に目を向け始め、それまでは公使しか派遣してこなかったが、1893年に初めての大使をイギリスに派遣した。

クリーブランド大統領は、正義の士としてハワイの併合を認めず、ハリソン前政権の方針を覆した。

1898年にキューバでアメリカの船の沈没事故があり、それを契機に「米西戦争」となった。
アメリカは大勝し、カリブ海と太平洋に権益を得た。

(2013.1.11.)


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