(『そうだったのか!アメリカ』から抜粋)
アメリカが海外で行った最初の戦争が、米西戦争である。
アメリカにとって手近なのは、カリブ海の島々だった。
とりわけキューバは、アメリカにとって魅力的なフロンティアだった。
キューバでは当時、スペインからの独立運動が盛り上がっていた。
アメリカでは、キューバの人々への同情が高まった。
1898年2月15日に、キューバを訪問していたアメリカ海軍の軍艦「メイン号」が、原因不明の爆発で沈没した。
現在では『エンジン室の故障が原因』と見られているが、当時のアメリカでは「スペインの機雷によって爆破された」と発表され、新聞は「メイン号を忘れるな(リメンバー・メイン)」のキャンペーンを開始した。
アメリカはスペインに対して、「キューバから軍を撤退させよ」と要求し、スペインは拒否した。
沈没の2ヶ月後の4月25日に、アメリカはスペインに宣戦布告をし、『米西戦争』となった。
アメリカ軍は、難なくスペイン軍を打ち破った。
戦後もキューバでは、アメリカ軍が駐留を続け、1902年に形式的にキューバの独立を認めた。
しかし、事実上は「アメリカの植民地」であった。
アメリカは、キューバ国内に軍事基地を建設した。
これが、今もある「グアンタナモ基地」だ。
「アメリカと対立するキューバの中に、アメリカ軍基地がある」という不思議な状態は、今も続いている。
キューバが正式に独立を果たすのは、1959年1月のフィデル・カストロによるキューバ革命後である。
一方でアメリカは、米西戦争の時に、はるか西のフィリピンにも海軍を派遣した。
フィリピンは、スペインの植民地だったからである。
そして、フィリピンの独立を認めるのではなく、スペインに代わって植民地にしてしまった。
フィリピンの植民地化について、当時のマッキンリー大統領はこう言った。
「フィリピン人に統治をまかせれば、無政府状態に陥る。フィリピン人を教育し、文明化し、キリスト教化するためには、アメリカがフィリピンを統治することだ。」
当時のフィリピンは、実はすでにスペインによって「キリスト教化」されていたのだが。
フィリピン人は、アメリカが新たな支配者になったことに失望した。
そして、今度はアメリカに対して、独立闘争を挑んだ。
戦いは1899年~1902年まで続き、アメリカ兵は4300人、フィリピン人は20万人が犠牲となった。
フィリピンは、太平洋戦争の勃発と共に、日本軍がアメリカ軍を追い出して占領した。
フィリピンが独立を勝ち取ったのは、太平洋戦争が終わった翌年の、1946年7月であった。
アメリカは他にも、カリブ海のプエルトリコ、太平洋のグアム島も、自国のものにした。
(2013.4.7.)