西部の開拓③
農民が入植をして、草原を農地にしていく

(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)

アメリカの中部・西部に広がるグレイト・プレインズは、国土の5分の2を占める乾燥地帯で、半分砂漠のような所である。

ここは長い間、開拓の対象外だった。
南北戦争後に、ここにも開拓が及ぶようになった。

1862年に「ホームステッド法」ができて、5年間の居住と農地整備を条件に、希望者には公有地160エーカーが無償供与される事になった。

1873年の「植樹農地法」は、4年間で40エーカーの土地に植林する事を条件に、160エーカーの追加取得を認めた。

77年の「荒地法」では、1エーカー当たり1.2ドルで640エーカーの公有地を払い下げて、牧場主の要望に応えた。

鉄道会社にも線路の土地をただで与え、会社は沿線の土地を売却する事で、建設資金を得た。

(2012.12.25.)

(『アメリカの歴史を知るための62章』から抜粋)

グレート・プレーンズへの入植は、1862年の「ホームステッド法」の制定後も、厳しい自然に阻まれてなかなか進まなかった。

しかし、水の確保が風車ポンプの利用で解決されたこと、乾燥や寒さに耐えられる丈夫な小麦がヨーロッパから導入されたこと、農機具が開発されたこと、などにより70年代後半から入植が始まった。

開拓農民たちは、草原を農地に変えていった。

西部は、東部に食糧を供給する地になっていき、東部の工業製品の購入者にもなっていった。

(2013.7.10.)


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