(『世界歴史大系 アメリカ史2』から抜粋)
西部の開拓の大きな障害は、インディアン(先住民)であった。
1865年には、インディアンの3分の2はグレイト・プレインズに住んでいた。
1867年に「インディアン平和委員会」が設置されて、部族ごとに狭いエリアに囲い込む『小保留地政策』が定着していった。
1860年代初めから30年間に渡って、インディアンと国軍の戦争が、グレイト・プレインズを主として発生した。
大抵は、武器の優れている白人(国軍)が勝った。
1886年のアパッチ族のジェロニモの降伏をもって、三世紀に渡る白人とインディアンの戦争は終息した。
グレイト・プレインズに住む大量の野牛は、インディアンの生活基盤だったが、白人の乱獲で1880年代にはほぼ絶滅してしまった。
この後、1887年~1934年の50年足らずの間に、インディアンの保有地1.38億エーカーのうち8600万エーカーは、白人の詐欺同然の取引によって奪われてしまった。
グレイト・プレインズから野牛とインディアンが去った後は、牛の放牧が盛んになり、産肉牛はヨーロッパに輸出されるまでになっていく。
この頃の牛の放し飼いのイメージが、西部劇のイメージモデルになっている。
(2012.12.25.)
(アメリカの歴史を知るための62章から抜粋)
西部の開発は、西部で暮らしていた先住民インディアンたちとの戦争を生んだ。
1890年にサウスダコタのウーンデット・ニーで、スー族の300人が白人に虐殺された。
この事件をもって、白人とインディアンとの戦争は終わった。
フロンティアの消滅とは、インディアンの征服が完了した事も意味していた。
(2013.7.10.)