ニール
「自分の信念(信じている宗教)は、もはや役に立たない」なんて、夢にも思っていない人が大勢います。
それどころか、「むしろ昔の宗教に戻る必要がある」と言う人すらいます。
神
そうだね。
昔の教えに戻ろうと主張するグループは、「ファンダメンタリスト(原理主義者)」と呼ばれる。
彼らは、「前に進むためには、後戻りすべきだ」と信じ、「聖書の言葉どおりに行動しろ」と言う。
ニール
彼らは、正しいのですか?
神
難しいのは、聖書は「解釈しなければならない」という事だ。
つまり、解釈者が意味を決めるし、その瞬間に「神の言葉」は「解釈者の言葉」になる。
この問題があるから、宗教によっては「聖典には決して誤りはない」とか「指導者(解釈者)は絶対だ」とする。
ニール
ローマ・カトリックの法王や、イスラム教の指導者は、「絶対に間違いをしない」とされています。
でも、絶対に間違わない人間なんて居ないし、第一に不遜な考えですよ。
宗教の礎石である謙遜とは、矛盾します。
神
その通りだね。
ニール
「聖書の言葉に忠実に従うことが、唯一の道だ」と主張する人には、あなたならどう言いますか?
神
私ならば、「その言葉は、今とは違う時代、今とは違う環境で書かれたものだ。その事に気づきなさい」と言う。
どんな教えも、移り変わり続ける社会に当てはめる事で、さらに役に立つ。
ニール
言い換えれば、「常に新しい解釈の可能性を開いておきなさい」という事ですね。
神
一番大切なのは、『あなた自身を信じて、心と魂の導きに従うこと』と、『あなたの見方を、他人に押し付けないこと』だ。
ニール
もっと具体的にお訊ねしてもいいですか。
アフガニスタンのタリバンのような原理主義者は、どうして「女性は、全身を隠さなければならない」「男性は、一定の長さの髭を生やさなければならない」などと言うのでしょうか?
神
コーランやハディース(イスラム教の重要な書物)に、そのように解釈できる言葉があるんだよ。
ニール
でも、ひどい抑圧ですよ。
神
抑圧的な社会の命令や制約は、神の意志に基づいたものではなく、指導者が「これが神の掟だ」と主張するものに基づいている。
それらの掟は、「人々に自由を与えれば、自分の言う事を聞かなくなる」という指導者の不安に基づいている。
ニール
ですが、神の掟が自分には分かるなんて、主張できるものでしょうか?
神
抑圧的な社会の指導者は、そう主張するよ!
そうした指導者は、恐怖を利用するし、情報を制限する。
しかし、あなた方がそういう社会を創っても、意外ではない。
なぜならあなた方は、神はそういうものだと想像しているから。
あなた方は、「神は罰を与える(恐怖を利用する)」と考えているし、「神は人間を不完全に創った(情報を制限した)」と考えている。
神がそうするのだったら、神の名において人間がするのも自然ではないか?
この論理の悪循環に、あなた方は嵌りこんでいる。
ニール
どうすれば上手くいくのですか?
神
まず、「今のやり方では、上手くいかない」と認める事だ。
あなた方が創り出した社会構造は、どれももう役には立たない。
ニール
今までの文明を、みんな捨ててしまうのですか?
神
あなた方が創り出したのは、断じて文明ではない。
だが私は、「みんな捨ててしまえ」とは言っていない。
「処分しなさい」と言うのは、一部の信念の事だ。
今の社会構造を破壊するのではなく、付け加え、変更し、改善しなさい。
ニール
宗教もですか?
神
特に宗教を。
あなた方が真の平和を選ぶなら、社会をあらゆるレベルで創り直さなければならない。
(『新しき啓示』から抜粋)