第1の啓示の補足
あなたの本当の師は、あなたである

ニール

あなたは、「あなたを通じて新しい啓示がもたらされる可能性に、心を開きなさい」と言います。

でも、荷が重いなあ。

 神

そんな風に感じるのは、自分だけにその能力が与えられると考えるからだよ。

あなたは特別だ。
だが、他の人よりも特別なわけではない。

「新しいメッセージをもたらす責任が、自分だけにある」と思う必要はない。

あらゆる人達が、新しい理解を分かち合い、人々に伝える力を持っている。

ニール

あらゆる人がメッセンジャーになれるのならば、誰のメッセージを聞けばいいのですか?

 神

「自分は他人よりも特別だ」と宣言する者の言葉は、聞かないことだ。

「自分は救世主だ」とか「自分は真の預言者だ」と、大げさな事を言う者からは、さっさと逃げ出しなさい。

「あなた方は、全員がメッセンジャーであり救い手だ」と言う者の言葉は、注意深く聞きなさい。

そういう人は、「自分に従え」とは言わず、「あなたの内に宿る神性に従いなさい」と言う。

神性が宿っているのは、心の中、魂の中、精神の最も深い所だ。

そこでしか神性は充分に体験できず、そこからしか立ち現れない。

他人や他の場所を通じて現れた神性は、『神性の投影』だ。

あなたの周囲には、あらゆる所に神性の表現が見られるが、それは神性の体験とは違う。

「表現を見ること」と「体験すること」を、混同してはいけない。

外で咲いている美しい花々は神性を表現しているが、あなたは「自分という美しい花」を感じて触れた時にだけ、神性を体験できる。

外にある表現は、あなたの内的な表現に導いてくれるが、決して代わりにはならない。

そして、内的な表現が外に向かって表現される時に、輪が完成する。

この輪(循環)が、生命/人生の目的であり、宇宙全体の働きなのだ。

ニール

すばらしい説明ですね。
もう少し詳しく話していただけますか?

 神

この世界(宇宙)の目的は、関係性のある場(相対性の場)を与えて、その中であなた方が自分自身の神性に気づけるようにする事だ。

外にある神性の表現は、あなた以外の何か(誰か)の体験だ。

それを自分の神性の体験にしてしまうと、あなたは内部を外部で代用することになる。

そうなると、あなたは『自分の内なる神性の力』から遠ざかり、自分の力を失ってしまう。

そんな事は、真のマスターは決して求めない。

だから、あなた以外の何かを崇めさせようとする者には、気を付けなさい。

ニール

そうか!
それが、「道でブッダに出会ったら、ブッダから逃げよ」という言葉の意味なのですね。

 神

そうだ。
ブッダだと明らかに分かる扱いを人々がしていたら、当人もそのような扱いをさせていたら、その人はブッダ(悟りを開いた人)ではない。

ブッダならば、自分を特別扱いにさせたりはしない。

あなた方を支配しようとする者は、一番高い地位に座りたがり、重い負担を作り出して人々の肩に担わせる。

彼らは、豪華な衣装を身に着けて、人々から頭を下げられる事を無上の喜びとし、自分を「父」「最高の師」などと呼ばせたがる。

だが、あなたの本当の師は1人しか居ないし、その師はあなたの心の中に(魂に)居る。

地上の誰であれ、他の人を「真の親」「最高の師」と呼んではいけない。

あなた方は、全員が平等な兄弟姉妹なのだから。

あなたが人生の中で師に出会ったら、「大勢の師の中の1人」と呼べばいい。

あなた方の中で最も偉大な者は、すぐに分かる。

なぜなら、彼らは人々に仕えるから。

(『新しき啓示』から抜粋)


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