ニール
あなたは、「あなたの最高の師は、あなたの心の中に(魂に)いる。他の誰かを、特別な存在(最高の師)にしてはいけない」と言います。
すると、モーセやイエスやムハンマドは、特別な存在ではないのですか?
神
逆の言い方をしようか。
『あなた方は全員が、彼らと同じ様に特別なのだ』
ニール
そんな事を言ったら、背教者と呼ばれるかもしれませんよ。
聖者を侮辱したと思われます。
神
なぜ、侮辱した事になるのかな?
例えばムハンマドは、「すべての人が、私のように特別になりなさい」と言っているよ。
ハディース(ムハンマドと彼の仲間たちの言行録)が、そうではないか。
ムハンマドの生涯をモデルにして、それを目指すのがハディースだ。
ニール
でも、「私たちはムハンマドと同じに神聖だ」と言うなんて、冒とくです。
自分がイエスやモーセと同じ様に賢いと考えるなんて、傲慢ですよ。
神
そうかな?
イエスは、「私と父は一体である」「あなた方は、私の兄弟であり姉妹である」と言ったのではないか?
イエスは自らの奇跡について、「私が行った事は、あなたにも行える。これよりももっと偉大な事を、あなたは行うだろう」と言ったのではないか?
イエスは例を示したのだよ。ムハンマドもそうだ。
マスター達はいつも例を示して、他の人々も真似するように促す。
ムスリムは皆、ムハンマドの生涯を真似しようとしている。
キリスト教徒は皆、イエスの生涯を真似しようとしている。
仏教徒は皆、ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)の生涯を真似しようとしている。
あなたも、偉大で霊的な師の生涯を真似られる。
そして「真似る」とは、「同じに、あるいはそれ以上になりたいと努力する」という意味だ。
あなた方は、「お前は神性には到達できない」と、世間や指導者から言われてきた。
だが、マスター達は神性に到達できる事を示して、「自分の例に倣いなさい」と促してきたのではないかね?
ニール
ええ、そうですね。
神
それならばなぜ、あなたはそれを「背教だ」とか「冒とくだ」と言うのかな?
ニール
分かりません。
神
あなた方は、マスター達のメッセージを理解しているつもりだが、実は理解していない。
そこで、『第2の新しき啓示』だ。
『すべての人間は、特別な存在だ。
あなた方は全員が、メッセンジャーである。
あなた方は、生命/人生についてのメッセージを発している。
どの瞬間にも。』
あなたが考え、語り、行う事は、すべてがメッセージだ。
あなたの全人生が、あなたの教えだ。
誰かがあなたと同じ道を歩むと考えたら、あなたはその道を歩むだろうか?
「誰も自分を見ていないだろう」と思うかもしれないが、見ているのだよ。
あなたが思っているよりも、大勢の人が見ている。
それどころか、あなたが人生で触れ合うすべての人が、あなたの示す例に影響を受けている。
あなたは、人々にデータを与えて、生命/人生について教えている。
人々は、あなたのデータを自分の世界に取り込み、それを自分の人生の一部にしている。
あなた方の1人1人が、国なのだ。
国は、あなた方でつくられている。
あなた方の1人1人が、宗教なのだ。
宗教は、あなた方でつくられている。
あなたが最初のドミノだ。あなたが何かで「倒れる」と、他の人も倒れる!
だから、倒れてはいけない。
それよりも、「合わせて整え」なさい。
最も高い自己に、合わせて整えなさい。
愛に合わせなさい。
そして、あなたの力(影響)ですべてが整うのを、見つめなさい。
これが、私たちがするべき神の仕事なのだ。
ニール
「自分がメッセンジャーだ」なんて、考えた事はありませんでした。
神
あなたはメッセンジャーだ。
それを知る事が大切だ。
そうでないと、あなたは一生「メッセージをたずさえてくる誰か」を探す事になる。
人類は歴史を通じて、「誰か」を探してきたのだよ。
そして時折、「メッセンジャーが見つかった、彼が最後の(真の)メッセンジャーだ」と宣言してきた。
だが、私はそんな事は言わなかった。
それは、あなた方が創り上げた事だ。
あなた方が勝手に決めた事だ。
実は、あなた方は皆、『自分たちのために、何が有効で、何が有効でないか』を、直感的・本質的に知っている。
あなた方はすでに、「平和に仲良く幸せに暮らせる世界を創ることを選ぶ」と言った。
(集合意識のレベルで、そう宣言したのです)
それを実現するための羅針盤・物差し・秤は、あなた方の中にある。
直感、勘、自信、感覚、何とでも呼べばいい。
それを持っている事は、否定できないはずだ。
こうしたものに頼れば頼るほど、ますます頼りになる事が分かるだろう。
(『新しき啓示』から抜粋)