ニール
神がやたらと人間に強制するのが、今までの宗教です。
でも、神がいちいち命令をするなんて、理解できませんでしたよ。
神
私は、誰にも命令した事はない。
これからも、命令などしない。
ニール
どうして、命令しないのですか?
神
なぜなら、私は何も望んでいないからだ。
あなた方は、それが理解できず、受け入れようとしない。
神は、何も要求せず、何も命令せず、何も強制しない。
この事を、学校で教え、人々に話してやりなさい。
私は、『存在するすべて』だ。
一体、誰に命令するというのだね? 誰を罰するのだね?
自分で自分に、命令したり罰を下すのか?
あなた方の宗教指導者や教師は、「神を恐れよ、神は復讐する」と教えている。
「生きている限り、神の審判を恐れ続けよ」と言う。
そこであなた方の大半は、神を礼拝して、神に仕える正しいやり方を探し求める。
だが私は、礼拝など欲していないし、仕えてもらおうとも思っていない。
あなた方がいま強制されている行動(礼拝や従属)は、歴史的には専制君主が人民に要求した事だ。
それなのに、今に至るまでその要求がニセモノだと気付かないのは、驚きだよ。
あなた方が何かを必要とする神を信じるなら、あなた方は「本当よりもずっと小さい神」を信じる事になる。
ニール
それでは、あなたは命令をしないのですか?
神
しない。
「秩序を保つためには、命令をしなければならない」と感じているのは、人間だよ。
そして、命令に従わせる一番良い方法が、「これは神の命令だぞ」と言う事だったのだ。
ニール
でも、神が何も望まないならば、何を信じればいいのですか?
神
様々な考え方に触れて、「それをすれば上手く行くかどうか」を考えればいい。
(『新しき啓示』から抜粋)