ニール
あなたは、「神は、何も命令しないし、強制もしない」と言います。
でも、神の命令が無いと、何かをする理由が見つかりません。
神
あなた方は、自分が最善と思う行動をするためには、神の命令が(強制が)必要なのか?
ニール
いやいや、そうじゃないんです。
「何が最善か」は、神が決めるんですよ。
「何が最善か」を決めるのは、難しいんです。
神
それは、簡単なはずだ。
何をしようと思うか、どんな体験を欲しているか、を考えればいいだけだ。
ニール
でも、私たちのほとんどは、明日を思わず、まして来年の事など考えません。
神
どうして、そんなに近視眼的なのだろうね?
ニール
私たちは、利己的だからです。
自分の事だけを考えるのが、習慣になっています。
神
それならば、解決策は明白だ。
「自分」についての定義を、拡げなさい。
問題は、あなた方が自己中心的なことではなく、中心となる「自己の定義」が小さすぎることだ。
あなた方は、本当の自分よりも、自分を小さく考えている。
だから、困難にぶつかるのだ。
ほとんどの組織的な宗教の困った点は、あなた方に「小さな自己(限定された自己)」を教えてきた事だ。
ニール
でも、キリスト教では「あなたは兄弟の守り手だ」と教えるし、イスラム教では「コミュニティが一番大切だ」と教えています。
神
だがそのコミュニティは、「その教えの信者だけ」で構成されている。
他の人々は、コミュニティの一員ではない。
だから、1つになる代わりに、分断が起こる。
ニール
でも、私たちは皆が違った存在です。
私たちは、ばらばらですよ。
神
違いがある事と、分断している事は、別の事だ。
あなた方は、本当は神と一体だし、それぞれも一体なのだ。
ニール
そんなはずはありません。
神は善で、私たちは悪・罪人だ。
私たちは、神の前では卑下して、自分は無に等しい事を思い出すべきなんです。
神
それが、誤解だというのだよ。
私は多くのメッセンジャーを通して啓示を与えてきたが、「自分を卑下しなさい」と言った事はない。
私は常に、「自分を高めなさい」と言ってきた。
(『新しき啓示』から抜粋)