ニール
あなたは、「攻撃をしてくる者に対しては、『私を傷つけなければ自分が癒されないと感じるなんて、いったい何にそれほど傷ついているのですか?』と問いかけなさい」と言います。
しかし、その人達の見方が歪んでいるのに、耳を傾けなければならないのですか?
神
癒し手であるためには、『本人の世界観に照らせば、誰も不適切な事はしていない』という事を、理解しなくてはいけない。
ニール
それでは、すべての人の見方を、正しいものとして受け入れなくてはならないのですか?
神
そうではない。
「当人は正しいと思っている」という事を、理解しなくはいけない。そういう意味だよ。
これを理解すれば、あなたは次の言葉を口にする事ができる。
「どうしてあなたがそう感じるか、理解できますよ」
これは、とても力強い言葉だ。
この言葉だけでも、大きな効果がある。
ニール
本当に、そんな力があるのですか?
神
ある。
なぜなら、こう言うのと同じだからだ。
「あなたは、一人ではありません。
あなたは狂っているのではない。
あなたのような信念や体験があれば、他の人も同じ結論を出すかもしれません。」
問題にぶつかった人にとって一番つらいのは、問題そのものではなく、「誰も理解してくれない」と思う事だ。
誰も理解してくれなければ、解決策が見つかる可能性も少なくなる。
だから、つらいのだ。
「理解してもらえない」という気持ちは、絶望につながる。
反対に、「誰かが理解してくれる」と感じれば、絶望の淵から戻ってきて、話し合いに進める。
ニール
でも、戦争を仕掛けられたり、爆撃されたりした時に、「あなたがそんな風に感じるのは、理解できます」とは、なかなか言えませんよ。
神
そう言えないなら、せめて聞いてごらん。
「私を傷つけなければ自分が癒されないと感じるなんて、いったい何にそれほど傷ついているのですか?」と。
『すべての攻撃は、攻撃者にとっては防御なのだ』
これを理解する事が、すべての癒しの基本だ。
(『新しき啓示』から抜粋)