ニール
あなたは、「本人の世界観に照らせば、誰も不適切な事はしていない」と言います。
でも、当人が正しいと思っていても、間違った行いはありますよ。
神
ここで、『第7の新しき啓示』を取り上げよう。
『正邪や正誤は、想像上のものだ
有効な事と、有効でない事があるだけだ』
「正しい」とか「間違っている」という事は、無い。
ニール
どうして、「正しいとか間違っているという事はない」なんて、おっしゃれるのですか?
神
真実だからだよ。
「正しい」とか「間違っている」というのは、あなた方の想像が生み出したものだ。
あなた方が判断する中で創り出した、『レッテル』だ。
判断の基になる価値観や、あなた方の要求が変われば、正邪(正誤)の基準も変わってしまう。
あなた方の歴史が証明しているよ。
ニール
そんなばかな。基本の価値観は変わりません。
神
それでは、「変わらぬ基本的な価値観」の例を挙げてごらん。
ニール
いいですよ。
殺人がそうです。
「汝、殺すことなかれ」、これは変わりません。
神
ただし、戦争に勝とうとする時は、別だね。
ニール
しかし、自衛の戦争もあります。
自分を守る権利はあるんです。
少なくとも、私たちの国(アメリカ)は、どこにも攻め込んだ事はありません。
アメリカは、自衛の戦争しか、した事はありません。
神
アメリカが、自衛の戦争以外はした事がないって?
ニール
そうです。
神
あなたは今、私が少し前に言った『すべての攻撃は、攻撃者にとっては防衛なのだ』という言葉を、証明したよ。
戦争を仕掛ける国や集団は、「~を守るためだ」と言う。
わかるかな? この事実は、よく見つめる必要がある。
戦争には、「攻撃側」はなく、「防衛側」があるだけだ。
おかしな話だが、すべての攻撃を防衛だと呼べば、そうなる。
攻撃する者は、「これは防衛だ」と言う。
そう言えば、自分を正しいように見せかけられるからだ。
戦争だけでなく、人生のすべての争いに、これは当てはまる。
誰も攻撃しているとは思っておらず、防衛していると考えている。
あなたに対する相手の攻撃に、この論法を当てはめれば、相手の気持ちが分かり、奇跡が起こるだろう。
(『新しき啓示』から抜粋)