ニール
あなたは、
「倫理の基にある原理は、機能性だ。
正義の基にある原理は、適応性だ。
所有の基にある原理は、持続性だ。」
と言います。
でも、よく分からないなあ。機能性、適応性、持続性ですか…。
神
まず、倫理について話そう。
倫理の問題点は、「権威を必要とする」という事だ。
権威のない倫理は、価値がない。
ニール
そりゃそうです。
神
倫理の陰にある権威とは、何だと思う?
ニール
「正しい(正義)」という考え方じゃないかな。
神
その考え方は、どこから思いついたと思う?
ニール
神からですか?
神
その通り。少なくとも、当人たちはそう言った。
最も初期の社会では、宗教と政治は混ざり合っていて、「神の規範」を地上のルールにしていた。
原始的な文化は、すべてを「神々」に求めていた。
雨降りや豊作のお願い、行動のルール、倫理などを、神々に求めた。
その後の社会・文化も、同じ事をした。
ほとんどの市民法は、何らかの「啓示」を基にして始まっている。
最初の『正邪や正義の考え方』は、「神が望み、神が必要とする」と彼らが理解したものから生まれたのだ。
もし彼らが、「神は何も必要とはしない」と決めていたら、すべてが違っていただろう。
彼らは、沢山のルールについて、「神から人間に手渡された」と主張した。
「十戒」は代表的なものだね。
あなた方の倫理の権威には、この「神から人間に手渡されたルール(神の意志)」が根底にある。
人間社会は、「神からの指示(実際は人間からの指示)」に基づいて、「倫理」を創り上げているのだよ。
神を信じていると言わない社会や、神話は迷信だとする社会も、神についての古い教えに根ざしている。
多くの国が、「神の法」を「市民法」として受け入れている。
ニール
それの、どこがいけないのですか?
神
神の法と信じられているものは、公正ではない。
なぜなら、『神学者や教師の解釈した神の法を、丸ごと受け入れなければならない』からだ。
ニール
そういう文化もありますが、私の住むアメリカは違いますよ。
私たちは、教会と政治を分離させました。
倫理と法の権威は神だ、とは主張しません。
神
本当か?
国旗に忠誠を誓う時は、「神のもとの国家」と言うのではないか?
アメリカの貨幣には、「神において信じる」と書いてある。
宣誓をする時には、聖書に手を置いて、「神の助けにより」と述べるのではないか?
国家の歌詞を見直してごらん。
ニール
おっしゃる事は分かりました。
神
法律や倫理の基礎になっているのは、その社会の多数を占める人達の宗教的な見方なのだ。
(『新しき啓示』から抜粋)