ニール
あなたは、「平和を築きたいならば、正邪ではなく、『何が役に立つか(何が機能するか)』で物事を考え、選択していきなさい」と言います。
しかし、「何が役に立ち、何が役に立たないか」という世界で、本当にめちゃくちゃにならないのですか?
神
それでは訊くが、あなた方の現在の「正邪の世界」は、平和と調和を生み出しているかな?
ニール
そりゃ、そうはなっていません。
でも、少なくとも誰かが間違った事をした時に、それを罰せます。
神
そうやって人を罰して、間違いが2つ合わされば正しくなる、と言うのかね?
ニール
悪人を罰する事は、間違いじゃないですよ!
神
そもそも、『正邪は存在しない』のだよ。(これは、第7の新しき啓示です)
宇宙には、そのような絶対的な基準はない。
『生み出したい結果に繋がるかどうかに照らして、役に立つか、役に立たないか』
それによって、「正しいこと(有効に機能すること)」と「間違っていること(有効に機能しないこと)」が決まるだけだ。
誰かを罰して、どんな結果を得たいのだね?
復讐か? 脅威を取り除きたいのか?
ニール
正直に言えば、それらを少しづつ体験したいのでしょう。
でも、一番の理由は、「正義」ですよ。
正義を体験したいのです。
神
ふうむ…。あなた方の面白い「精神的な仕組み」が出てきたね。
では、正義とはどういうものだと理解している?
ニール
辞書には、「正義とは、対立する主張・利益・懲罰について、偏りのない調整を行うこと」とあります。
神
「調整」と出ているのだね。
私が少し前に言った、『正義の基にある原理は、適応性だ』というのと、よく似ているね。
適応するとは、調整する事だ。
生命は常に、『適応性の原理』を表現している。
生命とは、何よりも機能であり、機能し続けるために適応する(調整する)。
『適応性の原理』は、進化論では「選択」と呼ばれる。
生命は、機能を選択し、それによって進化する。
そうやって、「持続」していく。
『機能性・適応性・持続性の3原理』が循環することで、生命は永遠に続いていく。
機能 → 適応 → 持続 → 機能 → 適応 → 持続と、永遠に続いていく。
あなた方は、「正義のシステム」によって調整をはかり、『適応性の原理』を表現しようとしている。
ニール
努力はしています。
神
だが、「正義のシステム」には、実にたくさんの欠陥がある。
金持ちや権力者の影響を受けやすいし、貧者や弱者は無視されやすい。
一体どこに、正義はあるのかね?
ニール
それはそうかもしれませんが、私たちは不正を見過ごせないのです。
「間違ったこと」は、「正さなければならない」のです。
神
どうして、「上手く行かないこと」を、「上手く行くようにしよう」と考えないのだね?
「間違いを正そう」とすると、そのプロセスとして懲罰が出てくる。
だが、「上手く行くようにする」ことを考えれば、修正して新しいコースを見つければいいだけだ。
それが、本当の調整だよ。
高度に進化した社会では、こうした事が充分に理解されているから、懲罰は存在しない。
(『新しき啓示』から抜粋)