ニール
あなたは、「『適者生存』とか『人間はお互いに別々だ』との考え方により、地球上に破壊が蔓延している」と言います。
でも、慈悲や共感も人々の心の中にはあります。
神
もちろん、その通りだ。
ニール
すると、人間のどちらの性質が勝利を収めるか、ですね。
神
違う!
今までの対話で何度も言ってきたし、これからも言い続けるが、暴力性は「人間の性質」ではない。
ニール
しかし、私には人間が暴力をふるうのは、普通の事のように見えます。
神
「普通」という事と、「本来そうだ」という事は、違う。
暴力性は、人間の本質ではないが、「問題を解決するのに有効だ」という誤った幻想があるために蔓延して、それで人間の本質だと思われている。
ニール
でも、「生命の本質は暴力だ」と言う人がいます。
自然界の暴力や、宇宙の暴力(星の爆発など)を見て、それが物事の本質だと言うのです。
神
自然界の出来事と、意識的な創造とは、全く別の事だよ。
生物の本能的な反応と、意識的な対応も、全く別の事だ。
生命は、それぞれ異なるたくさんの意識レベルで、自らを表現している。
意識のレベルが高くなるほど、自己決定の度合いは大きくなり、「自分とは何者か」についても壮大な考え方を選択・表現する。
ニール
混乱してきました。
あなたは以前に、「『優劣が存在する』という考えは幻想であり、『他よりも優れている』との考えが世界を困難に陥れている」とおっしゃったではありませんか。
神
意識のレベルが高いのは、優れているのではなく、ただ高いのだ。
行動や在り方によって、生命は自らのレベルを明らかにする。
動物の行動は、生命の本質を示しているのではなく、自分の意識レベルを示している。
人間はかつて、「自分たちは神の最大の偉業であり、全ての動物を支配する存在だ」と宣言した。
それは、人間の高慢のレベルを示している。
ニール
やれやれ、今でもそう教えている宗教がありますよ。
(『新しき啓示』から抜粋)