ニール
あなたは、「暴力は、人間の本来の性質ではない」と言います。
それならば、どうして「怒り」があるのでしょう。
神
ちょっと待ちなさい。
あなたは暴力と怒りを、一緒くたにしている。
怒りと暴力は同じものではないし、混同してはいけない。
『怒り』は、自然な感情であり、まったく差し支えないものだ。
ニール
でも私の体験では、怒りはいつも困ったものでしたよ。
神
それは、あなたが愛情溢れるやり方で怒りを表現しなかったからだ。
愛と共に表現されれば、怒りは平和を生み出す。
ニール
そんな説明は、初めて聞きました。
神
怒りとは、本来そう表現されるべきものだ。
怒りは、生命のシステムに組み込まれており、『否定的なエネルギーを発散する弁』だよ。
困った事になるとしたら、否定的なエネルギーを発散するからではなく、発散の仕方に問題があるのだ。
暴力とはいっさい関わりなしに、怒りを発散する方法はたくさんある。
そういう発散の仕方を知っているのは、成熟の印だ。
『怒りは否定的な感情ではない、怒りは癒し手だ』という事を理解しておきなさい。
怒りは、否定的なエネルギーを発散させ、それによって肯定的な感情になる。
怒りと調和は両立できる。
上手に表現された怒りは、偉大な癒し手になるし、調和への近道になる。
(『新しき啓示』から抜粋)