ニール
あなたは、「暴力は、人間の本来の性質ではない」と言います。
そうならば、なぜ私たちは、暴力を紛争解決の手段にするのでしょうか?
神
現代の文化に、暴力が深く浸み込んでいるからだ。
暴力的なイメージは、映画・TV・マンガ・コンピュータゲームなど、あらゆる形で表現されている。
60秒のCMに、企業は何百万ドルも支払う。
それは、イメージが人間の行動に影響するのを、充分に承知しているからだ。
暴力のイメージを常に見せられれば、暴力が心の中に生まれる。
そして、心の中に生じたものは、受け取ることになる。
創造のプロセスは、「ある考えが生まれる」→「その考えが知覚される」→「その考えが受け取られる(物理的な現実になる)」という順番で起きる。
「問題の解決には、暴力が有効だ」との考えが生まれて、それが人々に共有される(知覚される)と、その考えは物理的なかたち(現象)となり、考えた者に戻ってくる(還ってくる)。
こうやって、思考の結果を、あなた方は毎日受け取っているのだよ。
ニール
でも、人間はマスメディアが発達する前から暴力的でしたよ。
神
その通りだ。
マスメディアは、暴力のレベルを押し上げただけだ。
暴力が最初に生まれたのは、人間の誤解からだった。
あなた方の祖先は、大自然の力を、「神の意志の結果だ」と考えた。
そこから、怒りに満ちた神を考え出し、「神々を怒らせまい」とした。
結局はこの迷信は消えず、その後に組織的な宗教が生まれて、『怒りの神、報復の神』を普及させた。
聖典や聖者は暴力を勧めてはいないが、信者たちは勧めていると信じようとした。
そう信じれば、暴力を正当化して「正義」と呼べるからだ。
ニール
私たちは歴史を経て、大自然や生命について理解を深めてきました。
それなのに、なぜ未だに暴力を肯定し続けるのでしょうか?
神
古い信念が、真摯な挑戦を受けたことが無いからだ。
あなた方は、怒りの神を信じ続けている。
人間が暴力的に行動するのは、「自分は一人ぼっちで孤立している。自分を守るためには何でもしなければならない」と考えるからだ。
彼らが守ろうとしている「自分」とは、何なのだろう?
もちろん、「身体」だよ。
自分を身体の存在だと考えるから、身体が脅かされたと感じると、自分を守るために他者を攻撃する。
それを「自己防衛」だと言う。
だが、あなた方は身体ではない。そこに混乱がある。
もう地上に地獄を創るのは、止めたほうがいい。
『地上の生命に終止符を打つのではなく、自分の混乱に終止符を打ちなさい』
(『新しき啓示』から抜粋)