フクシマ 最悪の事故の陰に潜む真実
仏独のドキュメンタリー番組 事故の経過と真相が分かる①

ここで紹介するのは、フランスとドイツが共同で制作したTV番組『フクシマ 最悪の事故の陰に潜む真実』です。

外国が作ったからでしょうが、冷静に描いており、深い内容に仕上がっています。

日本では放送されなかったようですが、日本語訳をつけてネット上にアップされています。
すばらしい内容なので、食い入るように見ました。

私のウェブサイトでも、抜粋をして紹介をいたします。

○『フクシマ 最悪の事故の陰に潜む真実』

2011年3月11日の14時46分に、東北地方で大地震が起こった。

震源地は、仙台から130km東の太平洋だった。

これは、観測史上で4番目の大地震だった。

日本政府は最初は「マグニチュード8.4」と発表したが、後に「9.0」に訂正された。

この地震は大きな津波をもたらし、地震から40分後には、津波は150kmに及ぶ広範囲の海岸に襲いかかった。

海水は国土に流れ込み、海岸から何kmものエリアを呑み込んだ。

この地震により、1.9万人が死亡し、10万人が家を失った。

津波は福島原発も襲い、次々と事故が起きた。

15時42分には、1~3号機の電源が喪失した。

その数分後には、津波が襲いかかり、非常用の発電機を使うためのオイルタンクが流された。

福島第一原発は、完全にブラックアウト(全ての電源の喪失)となった。

アメリカの原子炉エンジニアであるアーノルド・ガンダーセン。

彼は、大手電力会社の監査委員会に所属し、原子力規制委員会でも顧問を務めている。

ガンダーセン

「1号機では、『地震で配管が壊れたこと』を示す現象がありました。

というのも、津波が来る前に、原子炉の冷却が出来なくなっていたのです。

2号機と3号機では、津波が来てからも数時間は冷却ができていました。

津波は、2つの事を起こしました。

『非常用のディーゼル発電機の破壊』と、『海岸沿いに設置していたポンプの破壊』です。

ポンプが破壊されたのですから、発電機が使えたとしても、冷却水は取り込めなかったのです。」

福島原発の深刻な状況は、すぐには国民に知らされなかった。

菅直人・首相は、「原発の状況は平常だ。地震後に、原発は自動的に停止された。」と伝えていた。

19時45分には、東京の一部で停電が起きた。

その45分後に、菅首相は非常事態を宣言した。

その頃には、原発の周辺では、最初の住民避難が始まった。

翌日になっても、政府は原発の状況をほとんど知らせなかった。

1号機の炉心溶融は、11日の夜にはかなり進行していた。

この日の夜に、格納容器の圧力が異常に上昇した。

作業員は圧力を下げるために、手動でベントを試みた。
しかし放射線量が高すぎて、中断した。

空気圧縮機を使って、やっと弁を解放したが、排水システムに漏れがあり、大量の水素ガスが建屋の天井付近に溜まってしまった。

3月12日の13時36分には、1号機の建屋の外壁部が吹き飛ぶ、大爆発が起きた。

ウィーンに住む物理学者のヴォルフガング・クロンプは言う。

「1号機の大爆発は、水素爆発と言われています。

水素爆発がどう起きるかというと、金属は高温になると水と反応し、水素を発生させます。

大量の水素が発生すると、今度は酸素と反応して酸化し、可燃性の高いガスになるのです。」

3月14日の11時1分には、3号機で大爆発が起きた。

ここでも、炉心溶融が起きていた。

原子力保安院は、「これも水素爆発だと考えられます。格納容器の健全性は保たれていると考えております。」と発表した。

枝野幸男・官房長官も、同じ内容の発表をした。

クロンプ

「日本は、(地震が多いので)原発の建設にはまったく不適です。

大地震に耐えられる設計は、あり得ません。

建屋が吹っ飛んだという事は、上から覗けば原子炉の上側が見える状態になっています。

原子炉や燃料プールが、何の覆いもなく露出したのです。」

3月15日には、4号機で大爆発が起きた。

この爆発で天井が無くなり、燃料プールが露出した。

ガンダーセン

「1~3号機は、津波が来た時に稼動していました。

4号機は稼動していませんでしたが、安全ではありません。

実際には、4号機が一番危険です。

なぜなら、燃料棒が原子炉から取り出されて、プールに入れられているからです。

つまり燃料棒が格納容器の外にあるのです。
保護するものがないのです。

地震と津波により、プールの水はかなりこぼれました。

それに加えて、電源喪失により冷却ができません。

そのため、燃料棒の高熱により、プールの水はすぐに蒸発したはずです。

プールでは、とうとう燃料棒の先端が露出してしまいました。
それは、画像で確認できます。

そして、1~3号機と同じに水素がどんどん発生して、4号機の建屋が吹っ飛んだのです。」

自衛隊は、空からヘリコプターで注水を行った。

これは、原子炉の冷却が目的ではなく、プールに水を入れるためだった。

ガンダーセン

「ヘリコプターは、なるべく下降してプールに水を入れようとしたのですが、断念せざるを得ませんでした。 」

東電と原子力保安院は、4号機の爆発については、まずは知らないふりをした。

しかしアメリカの原子力安全委員会は、3月17日の時点で最大の警告をしていた。

「プール内の燃料棒が露出したため、水素爆発が起きたと考えざるを得ない」と。

ガンダーセン

「4号機の爆発後の映像は、次の事を示しています。

蒸発と爆発により水量は減り、床は落下しました。

核燃料棒を移動させるためのクレーンは、壊れています。
そしてそれは、プールに入り込んでいます。」

東電は、プールに上から水を入れるしかなかった。

4号機からは作業員が撤退し、50人だけが残った。
これが、外国のジャーナリストから「フクシマ・フィフティ」と呼ばれるようになる勇敢な50人であった。

東電は11月になって、ようやく4号機で爆発があった事を認めた。

しかし、燃料棒から水素が出て爆発に至ったことは、認めなかった。

それを認めると、燃料棒をしっかり冷却できなかった事を認めることになるからである。

東電は、「4号機の水素爆発は、3号機と共通の排気筒を通じて、3号機から流れた水素が起こした」と説明している。

ロバート・アルヴァレス

「私は、東電の説明を信じていません。

3号機の爆発から4号機の爆発まで、20時間も経っている事の説明がつかないからです。

私の知っている原子力エンジニアは、こう解釈しています。

まず地震でプールに亀裂が入り、水が流出してしまった。

それで核燃料の被膜になっているジルコニウムが高温になり、自然に発火してしまったのです。

その時に水素も発生して爆発が起きた。」

ガンダーセン

「4号機の燃料棒は、いつ引火して火災を起こしてもおかしくない状態でした。

もし火災になれば、付近の20万人超が死亡する事も想定できました。

だからアメリカ政府は、半径100km圏内の住民に避難勧告を出したのです。」

東京から消防隊が送り込まれたのは、事故から1週間後だった。

隊員たちは、(電気がないので)暗闇の中で計画を練った。

どこもかしこも瓦礫ばかりで、大きい車両は海にたどり着けなかった。

消防隊の隊長

「黄泉の国かと思いました。あそこでは何の音もなく、怖かったです。」

隊員の話

「人力で200kgのポンプを海まで運びました」

エメリッヒ・ザイデルベルガー

「あれは、必死の試みでしたね。

貯水がないので海水を使ったわけですが、海水の塩分は固まりになってこびり付きます。

その後に、真水で塩の塊を洗い出しましたが、それにより今度は大量の汚染水が海に流出しました。」

昼夜ひっきりなしに、1~4号機に放水が行われた。

汚染水は、どんどん溜まっていった。

海江田万里・経産相は、放射線量が高いので放水活動を中断する消防隊に対し、「放水を中断すれば処分する」と脅した。

その後に、2号機で2度の爆発が起きた。

これにより、配管と外側の立て杭に亀裂が生じ、そこから汚染水が漏れ出た。

(2号機が爆発した、というのは初耳ですが、ネットで検索したところ、そういう説もあるようです)

亀裂をコンクリートで固めようとしたが失敗し、紙やおがくずなどで試みた後に、水ガラスの使用でどうにか亀裂を塞ぐことが出来た。

東電は汚染水を処理しきれなくなり、日本政府は『汚染水を海に放出すること』を決定した。

そして1万トンの高濃度の汚染水が、海に放出された。

ロバート・アルヴァレス

「放出された汚染水により、かなり離れた場所でも高い放射能が検出されています」

このような状況の中、菅直人・首相は2011年7月にこう発表した。

「事故を収束するための第1ステップが、見事に終了しました。

循環注水の冷却システムが出来上がり、ステップ2に向けて努力していきます。

冷温停止が実現するのは、2012年の初めと考えています。」

しかしこの発表は、事故の現実とは乖離していた。

クリストファー・バスビーは、フクシマ近くの汚染レベルを調査している。

彼は、日本から自動車のエアーフィルターを取り寄せた。
フィルターを調べて、アルファ粒子を調べた。

バスビー

「日本の人々は、この粒子を吸い込みます。

環境には、ウランやプルトニウムも大量に放出されています。」

2011年7月になると、牛のえさや緑茶やコメから、放射性物質が検出されニュースとなった。

そうした中、バスビーはエアーフィルターの分析結果を持って東京を訪れた。

分析では、フィルターからセシウム134と137が検出されていた。

バスビー

「福島から離れている千葉などで、予想以上のセシウムが検出されました。

ウランやプルトニウムも、かなりの範囲に拡散されたはずです。

住民たちは、かなりの被曝にさらされています。

その量は、核実験が世界で相次いでいた1963年頃の大気汚染よりも、千葉では300倍も強く、福島原発から100km圏内では1000倍も強いのです。」

バスビーは会津若松でガンマ線量を調べたが、大量のセシウム134と137を検出した。

12月には、乳児用の粉ミルクからセシウムが検出され、回収された。

バスビー

「事故の当初は、水素爆発だけだと言われていました。

しかし、そうではなかったはずです。

3号機の爆発は、垂直に上に抜け出た爆発でした。

ただの水素爆発ならば、あんなに事故現場から離れた場所で、大量の放射性物質が検出されるはずがありません。」

2011年12月に雑誌ネイチャーで、『プルトニウムが福島原発から45kmも離れた地点で見つかった』と報告された。

「これだけの量のプルトニウム238は、原発事故からの放出以外には考えられない」とも述べられている。

山口幸夫は、原子力資料情報室の代表を務めている。

山口

「3号機では、ウランとプルトニウムを混ぜて作るMOX燃料が使われていました。

核爆発だった可能性があります。」

アーノルド・ガンダーセン

「3号機の爆発は、他の爆発とは異なります。

3号機の爆発の瞬間には、鋭い閃光がありました。

これは、『即発臨界』の始まりを示しています。

炎が出たのは建物の右部分(南側)ですが、そこには燃料プールがあります。

ですから私は、『燃料プールが爆発の原因だった』と考えます。

爆発で飛んだ物質の中には、核燃料もありました。

幸いな事に、そのほとんどは海方向に流れ飛びました。

即発臨界は、核分裂の連鎖反応であり、すべての水が蒸発し、原子炉も溶けました。

燃料プールからは燃料が上空に吹き飛び、広いエリアに降り注いだのです。」

(※3号機の燃料プールについては、現在(2014年4月)でも、東電は『状況は把握できていない』と言っています。

これだけ時間が経ったら、いくら何でも多少は分かるはずです。

あきらかにおかしい説明であり、『何かあるぞ』と私は考えてきました。

ほぼ間違いなく、ガンダーセンさんの言う通りに、燃料プールで核爆発があったのでしょう。

東電が3号機のプールについて全く言及しない事が、それを裏付けていると思います。)

アメリカの原子力規制委員会は、早々に「3号機のは水素爆発ではなく、劇的なものであった」と報告していた。

2011年3月25日の分析報告では、臨界爆発があった事を示唆している。

ガンダーセン

「事故の直後から、アレバ社やGE社やウェスティングハウス社(これらは有名な原発メーカーである)は、3号機の臨界爆発を公にしないようにと、圧力をかけました。

これらの会社に繋がりのある主要メディアたちは、事故を過小に伝える事を徹底しました。」

フランスのアレバ社は、世界最大の核産業企業であり、悪評の高いMOX燃料の納品会社である。

3号機で使用されていたMOX燃料も、アレバ社のものだった。

(日本では、MOX燃料がアレバ社に委託されて作られるとは、ぜんぜん報道していません。私は初耳でした。)

福島原発の事故から4ヶ月後に、15歳までの1080人を対象に甲状腺スクリーニングが行われた。

その結果は、「ほぼ半数が、放射性ヨウ素による被曝をしている」だった。

日本政府は秋から、福島の18歳までの36万人を対象に、ガンの定期検査の実施を決めた。

(長文になったので、記事を2つに分ける事にします。後半はこちらです。)

(2014年4月15~17日)


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