マイルス・デイビスの「コレクターズ・アイテムズ」②
ハードバップ私考

最初にもう一度、録音データを書いておきます。

録音日は1953年1月30日。参加メンバーは次の通りです。

マイルス・デイビス(tp)  ソニー・ロリンズ(ts)

チャーリー・パーカー(ts)  ウォルター・ビショップ(p)

パーシー・ヒース(b)  フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)

このセッションの聴き所は、とにかく『ロリンズのアドリブの凄さ』に尽きます。

この日のロリンズは、憧れの先輩パーカーと共演して張り切っていたからでしょうが、とんでもないプレイを繰り広げています。

この作品は、ロリンズの最高のプレイが聴けるアルバムの一つだと思います。

もう一つの聴き所は、『パーカーが、ハードバップ的なプレイをしている』ことです。

パーカーはビバップの創始者であり、生涯を通じてビバップのプレイに終始しました。

彼が、ビバップのアレンジ・バージョンである「ハードバップ・スタイル」で演奏しているのは、私はこのアルバム以外では聴いた事がありません。

ここで少し余談になりますが、ハードバップについての自分なりの解説をしたいと思います。

ハードバップは、チャーリー・パーカー達が創ったビバップを基にしており、『ビバップをアレンジしたスタイル』です。

よくハードバップについて、「ビバップのリズムを複雑にしたもの」とか「ベースの役割やドラムの役割を強めたもの」と説明されます。

私は、この説明はあまり当たっていないと思います。

ハードバップは、マイルスが中心になって、『ビバップをもっとシンプルに、身体に訴えかけるブルージーなものに変えたもの』だと思います。

「ビバップ」は、マイルスも自伝で言及していますが、複雑なコード進行を使い、リズムも次々と変化させるので、普通の耳の人には理解しづらいものでした。

耳が優れている人(音楽に造詣のある人)以外には、何をやっているのかよく分からないものだったのです。

こういう複雑なスタイルを創った背景には、『ジャズは黒人が創ったにも関わらず、白人のジャズ・ミュージシャンばかりが有名になり、黒人ミュージシャンが評価されない』という当時の事情がありました。

スウィング時代には、ベニー・グッドマンが王者とされていましたが、「グッドマンは確かに良いプレイヤーだが、同じレベルの黒人プレイヤーは沢山いる。しかし、俺たちは評価されていない」と、黒人ミュージシャン達は思っていました。

当時は、ジャズ史に残るような素晴らしい黒人ミュージシャンでもなかなか自分のバンドを持てず、自分よりも実力の劣る白人ミュージシャンのバンドに雇われる事が多かった。

そこで、パーカーを始めとしたビバップを創始するメンバーは、「白人が真似できないような、真っ黒なセンスの強烈なスタイル、かつてない高レベルの芸術性を備えたスタイル、を創ろう。そうすれば容易に真似されず、白人達に搾取されないぞ。」と考えたのです。

そして、複雑で高い技量を必要とし、白人には真似しづらい(白人の感性では付いていきづらい)リズムの、新しいスタイルを生み出しました。

(一方でビバップは、クラシック界の印象派などのコード理論を取り入れるなど、それまでになく白人的な要素もあったのですけど)

こうして生まれたビバップは、予定通りに白人にはなかなか真似できず、黒人ミュージシャンが王者として君臨する世界になりました。

しかしここで、新たな問題が浮上したのです。

ビバップは、真っ黒で白人から遠い世界だったゆえに、『ビジネスとして成立しづらかった』のです。

当時の音楽業界は、圧倒的に白人が支配していました。
そして、白人のほとんどにとって、ビバップは騒音にしか聞こえませんでした。

ビバップは、すばらしい音楽性を持ち、創造的で革新的なスタイルだったのに、ほとんど理解されませんでした。

今から振り返れば、ビバップ界は『世界最高レベルのプレイヤー達がひしめいている奇跡の世界』だったのですが、パーカーやモンクなどビバップ・ムーブメントの中心となって活動する卓越したミュージシャン達ですら、無名のままでした。

さらに悪い事に、同胞である黒人達にとっても、ビバップは難解で理解しづらかったのです。

ビバップには、黒人達が求める『ブルージーで踊れる要素(粘っこくてリラックスしたリズムと、シンプルなコード進行)』が、ほとんどありませんでした。

この「ビバップが大衆に理解されていかない」という状況を改善するために、より分かり易い『ハードバップ』という新スタイルが生まれたのです。

ハードバップの創造を主導したマイルスは、大衆の考えている事や、時代が求めている事を、的確に見抜く目を持っている人です。
彼は、「ビバップを広めるには、もっと分かり易くする必要がある」と考えたのだと思います。

そして、リズムをシンプルにしつつ、よりブルース色を濃くして、リラックスして聴けるスタイルに、ビバップを改良しました。

私が思うに、ハードバップはビバップよりも、『リズムが大きなうねりになっており、リズムがゆったりしています』。

ビバップのリズムは、4拍子が均等な重みになっていて、「トン、トン、トン、トン」と展開していきます。

それに対してハードバップは、2拍目と4拍目が(ウラ拍が)強調される事で、「トー、トン!、トー、トン!」と展開していきます。

こうする事で、リズムに余裕感を生み出している(リズムに隙間を作っている)のです。

さらにハードバップは、『ブルース色を強めている』のが大きな特徴です。

具体的に言うと、フレーズに「粘り気」や「ため」を多く取り入れています。

粘っこいプレイをする人は、ビバップ時代にはほぼ皆無でしたが、ハードバップ時代になるとジャッキー・マクリーン、ホレス・シルバー、ソニー・クラーク、ボビー・ティモンズなど大量に出てきます。

この2つの改良によって、多くの人が(特に黒人が)聴きやすいものにしているのです。

逆に言うと、ビバップ時代の厳しいアドリブの追求が、しづらくなりました。

話をまとめると、ハードバップの方が『聴き易く、分かり易く』なっており、『より多くの人に理解しやすいものに、改良されている』のです。

パーカーのような生粋のビバッパー(聴き易さよりも芸術性を追求するタイプ)には、ハードバップは馴染めませんでした。
だから彼らは、ハードバップが出てきてからも、ビバップのプレイを続けました。

しかし、このアルバムでは珍しい事に、『パーカーがハードバップのスタイルを受け入れて』演奏しているのです。

おそらく、自分の弟子のマイルスに敬意を示したのでしょう。

いつものスタイルとは異なるものにパーカーはチャレンジしているわけですが、全く問題なくこなしてします。さすがですね。

このセッションをハードバップ色の強いものにしているのには、ドラムのフィリー・ジョーの貢献が大です。

彼はこの録音の後に、ハードバップを代表するドラマーに成長していくのですが、まだハードバップが創られている途中のこの時点で、すでに完成されたプレイをしています。

フィリー・ジョーが生み出す、ゆったりとした開放感のある、ややもするといい加減なアバウトなリズムが、それまで無かった新しい世界を創り出しています。

ビバップを代表するドラマーであるマックス・ローチの、正確で完璧に制御された細部まで気を使うリズムと比較すると、フィリー・ジョーの個性がよく分かります。

各曲の解説もするつもりでしたが、ハードバップ論だけで長くなってしまいました。

記事を3回に分ける事にします。

(続きはこちらです)

(2013年3月20日に作成)


私の愛するジャズアルバム 目次に戻る